あの頃の自分:その2h2-icon-diary

このところめっきり寒くなり、病院から見える山並みも雪化粧を始めた。そういえば小生が初期研修をしたA病院は標高の高いところにあり、冬は本当に寒かった。毎朝車のフロントガラスが凍って閉口したものである。

そのA病院の一年目の研修は、全科ローテートであった。外科三か月、脳外科、整形外科、小児科、産婦人科が一か月、いわゆるマイナー科が各二週間、残りは内科に充てていた。内科の内容は自由選択であった。現在のローテートに比べれば、明らかに忙しいスケジュールである。二週間程度の研修で何が身につくのか、という批判もあろう。

たしかに、このローテーションで新生児を取り上げられるようになったわけでも、骨折や硬膜外血腫の手術や、腸重積の整復ができるようになったわけでもない。しかし、フルオロッセン染色をして、細隙灯で角膜損傷を見ることができるようになった。鼻出血をバイポーラーで止血した。急性中耳炎の鼓膜をたくさん見た。イレウスの患者がいるとき、代謝性アシドーシスの兆候があれば、外科医が手術を急ぐことを知った。眼底鏡の灯りで患者の瞳を光らせながら目を近づけ、眼底を覗くことを覚えた。系統だった神経所見が苦もなくとれるようになった。発疹の記載のしかたがわかった。双合診で子宮の大小がわかるようになった。前立腺癌の硬さと前立腺肥大の固さの違いを体験した。簡単な縫合は数えきれないくらいやった。

全科ローテートが有意義であることは、言うまでもない。臨床医なら一つでも多くのことを知っていた方がよいし、一つでも多くのことが出来る方がよい。そのスタートは、経験することである。「一度も見たことがない」のと、「一度見たことがある」のとでは、歴然たる差がある。たった一度であっても、経験を通じて心の中のハードルが低くなり、その疾患の患者を診療するのが億劫でなくなる。経験が自分の背中を押してくれるのである。

初期研修の限られた期間で、全ての疾患を体験するのは当然不可能である。しかし、頻度の高い疾患については、かなりの部分をカバーできるに違いない。もちろん、一度や二度の経験で、その疾患の治療が出来るようにはなるまい(出来ると言ったら、専門医に失礼である)。だが、専門医以外の医者は、その病気を疑い、専門医に相談し、初期の安定化ができれば十分である。そこを目標にするなら、数少ない経験でも事足りるはずである。

A病院の全科ローテーションの経験は、小生にとってはかけがえのない財産である。これから臨床研修を始めるみなさんにも、ぜひそのような研修をしてほしいと思っている。幅広い経験がみなさんの医療者としての土壌を耕し、豊かにする。土地が肥えてこそ、専門の樹であれ、ジェネラルの樹であれ、伸び伸びと枝を伸ばすことができるのである。

ローテーション研修が成果を挙げるためには、超積極的に研修に取り組むことが大切である。指導医が声をかけてくるのをただ待っているだけでは、見学ばかりだったポリクリと変わらない。自分から指導医に声をかけ、「何でもやらせてください」という気迫を見せることである。「うるさい奴め、黙ってろ。」と思われるくらいでよい。やらせないとおとなしくならないことがわかれば、指導医は必ずチャンスをくれるものである(研修医が隣りでうるさいと、診療になりませんから(笑))。加えて、一所懸命な人間にはチャンスを与えたくなるのが人情というものである。

振り返れば、気の乗らない診療科の研修で居眠りしていた自分が恨めしい。同期生の中には、小生よりも明らかに積極的な仲間もいた。彼は今、内視鏡の世界では世界に名前が知られる存在になっている。後悔先に立たず、当時に戻りたくても、今となっては叶わない。ひたすらな毎日を積み重ねることこそが大切なのである。

 
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