試験のはなしh2-icon-diary

ついこの間初詣に出かけたのに、もう2月である。6年生の皆さんは、目前に迫った国家試験の準備に忙しいことだろう。というわけで、今日は試験をめぐる思い出話をしたい。

まずは大学入試の話から。実は小生、センター試験元年の世代である(当時は共通一次試験と呼ばれた)。その是非はともかく、辛かったのは全国公立大学の試験日が同じ日に揃えられたこと、つまり国公立大学の受験機会が1回になったことである。共通一次前は一期校・二期校に分かれていたし、現在は前期・後期というシステムがあり、一度失敗しても二度目のチャンスがある。が、小生たちにはたった1回のチャンスしかなかったのである。

ヤケになったわけではないが、物理や微積分に不安があった小生は、二次試験が小論文と面接だけの大学を選んだ。組し易しと思ったのだが、大変な思い違いであった。学科試験がないのに、3日間の日程なのである。

初日の小論文は回答時間が5時間であった。サイエンス日本語版(今は廃刊かな?)の論文を配られて、その内容についていくつかの質問に答えるという形式であった。たしか成層圏オゾンについての論文で、読み終わるのに2時間ほどかかったが、何のことやらさっぱりわからない。だってそれまで習ったことも考えたこともないテーマでしたから(笑)。

質問の内容も、「○○ページのどこそこに××と述べられているが、これは●●ページの内容と一見矛盾する。だがそうではない。なぜか。」みたいなものだった。

この試験に必要だったのは、受験勉強で教わった知識ではない。未知の課題に対して知識や経験、思考力を総動員して自分なりの解決法を導き、それを論理的に説明する力である。要するに受験勉強だけではだめで、総合的な学力がないとどうにもならないのである。

答案ごとに多数の教官が採点したこと、チェックポイントが多数あり、それぞれに点数をつけて、最終的には百点満点で85点とか73点とか、細かな採点をしたことを入学後に聞いた。合否判定の際には、共通一次試験よりも、この小論文の成績を重視したという。医師に一番必要な力は「問題解決能力」であり、それを評価するにはこの方法が一番良いというのがその理由であった。

2日目は集団面接で、受験生は5人づつ面接室に招かれた。教授が3人ほど待っていた。

「これから諸君にテーマを提示します。そのことについて30分間、自由に討論してください。我々は一切喋りません。ではどうぞ。」

「理想の医師像」というテーマであった。沈黙が流れる。ほどなくいたたまれずに口火を切る受験生がいて、たどたどしいディスカッションが始まる。自分も2回ほど発言したが、内容は覚えていない。汗をびっしょりかいていると、瞬く間に時が過ぎる。

「はい。そこまで。」

受験生を評価するうえでやはり多数のチェック項目があり、それぞれに点数をつけたこと、教官が3人いても、驚くほど評価の結果が似たものになることを、入学後に聞いた。

「医療者としてどの道に進むにせよ、皆さんはチームの中の一人として活動してゆくのです。チームの中でどのように自分の居場所を見つけ、チームの結論のためにどのように振る舞ってゆくか。それを見たかったのです。」

3日目は普通の個人面接であった。

卒業して病院で仕事をするようになり、なぜこんな試験を受けさせられたのかがよくわかる。医療には絶対的な回答も正義もない。模範解答すら見いだせない分野もある。そんな中で、医師は医療チームのリーダとして、仲間と協力しながら、一所懸命に考え、解決のための道を拓いてゆかなければならない。それができなければ、患者が不幸になり、診療チームは空中分解してしまう。

そんな医師に求められるものは多岐にわたるが、一言で片づけるなら、バランスのとれた総合的な学力ということになろうか。それは受験勉強ごときで身につくものではない。様々な分野の本を読み、いろんな話を聞き、豊かな経験をし、思索する習慣の中から醸成されてくるものである。医者になるということは、そういう毎日の中に飛び込むことにほかならない。

そのためには国家試験に合格しなければならない。その話は次回ということで。

 
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