研修と英語h2-icon-diary

九月になり、なんだか急に涼しくなった。朝晩と日中の寒暖差が大きく、今年は紅葉がきれいだとか。とはいえ、めまぐるしい気候の変わりように、初老期の体はついてゆくのがいささか大変である。

夏の終わりに、今年もNARS-J(Navigation for Residents and Students in Joetsu)が開催された。上越・糸魚川地域の研修医諸君に加えて、医学生有志も参加してのトレーニングコースである。スキルラボラトリーの手技体験(今年のテーマはCVライン挿入であった)や、教育回診での臨床推論をコンテンツとしており、温泉に宿泊して合宿形式で行われる。ことしは焼山温泉で開催された。

教育回診はわれらが研修医たちにとってはもはや慣れたものであるはずだが、今回はいささかもの静かであった。症例興味深いものだったし、プレゼンも十分練れられていたにもかかわらず、である。

小生が思うに、おそらく講師が外国人であることが原因ではあるまいか。つまり、英語で話すことへの抵抗である。困ったときには日本語を指導医が英訳してくれるので、ブロークンでも何ら問題はないのだが、ヒアリングに自信がなかったり、間違えたら恥ずかしいと思ったりで、発言を躊躇してしまうのだろう。普段英語になじみが薄いので、このような壁を破ることができないのである。

実際のところ、研修医と話していると、彼らが英語の医学用語を知らないという印象は否定できない。小生たちの時代は教科書に必ず英語も併記されていたし(「狭心症」の隣りに「angina pectoris」といった具合)、授業中にもポンポン英語が出るわ、解剖の口頭試問は日英羅全部暗記せよと言われるわで、technical termとしての英語を覚えないことには話にならなかった。だが、最近はそんなことはないらしい。

日本人だから日本語で勉強すればよい。それはそのとおりである。しかしながら、小生はやはり英語も勉強してほしいと思う。その理由はたとえば以下のようなことである。

臨床研修が始まったとたん、指導医たちとコミュニケーションをとらなければならない。彼らは英語のtechnical termを話す。それを理解できなければならないはずだ。

ベッドサイドで病状や治療方針を議論するような場合、患者さんに余計な心配をかけないに、英語の方が都合がよい場合がある。もちろん患者さんには真実が伝えられるべきだが、大方針が共有できていれば、細かなことすべてを語る必要もあるまい。

このあたりについては、君たちが活躍する時代になれば今後変わってゆくかもしれない。だが、以下に述べることはきっと変わらない。

医療は人文科学的な面も有するが、科学としての医学は論理性を重視する。日本語と英語の文法を比較すると、英語の方がより論理的であろう。日本語の教科書には曖昧な表現が散見され、話題が行ったり来たりするきらいがある。一方英語の教科書は定義に始まり、そこから演繹されて病態生理、さらに症候や検査所見、治療内容に至るまで、論理的一貫性をもって記載されている。当然わかりやすいし、自然に論理的な思考が身につく。

今日最新の医学論文は英語で発表される。学会も規模が大きくなるほど、公用語は英語である(日本の学会であっても、だ)。英語で学習していないと、これらが理解できない。翻本を待っている間に、時代に取り残されてしまう。翻訳は原文のニュアンスを正確に伝えられない。原文を読むに越したことはない。

これらの事実をふまえて、諸外国の医学教育は英語で行われている。ひとり日本を除いて。国際化の時代である。今からでも遅くはない。まずは英語を読むことから始めてみませんか。少なくとも、高校時代の貯金を頼りに青息吐息の小生よりは、君たちの方がはるかに上達が早いと思いますよ。

 
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