病院長挨拶
桜の下で
病院長 篭島 充
大雪に見舞われた冬も終わり、今年も花咲く季節がやってきました。上越総合病院にも多くの新人職員が加わり、爽やかな風が吹いています。当院に対する日頃のご理解、ご支援にこの場を借りてお礼を申し上げます。
花といえば、桜。「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」と本居宣長が詠んだように、日本人は桜に特別な想いを抱いてきました。平家全盛のころ、世をはかなんで出家した西行法師は、「願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と、自身の望む人生のしまい方を詠っています。その平家を壇ノ浦に滅ぼした源義経は、一躍時代の寵児となりますが、兄である頼朝に追われ、奥州平泉に散ります。
時は流れて昭和25年、その平泉は中尊寺で、学術調査が行われました。中尊寺は源平の時代に覇を唱えていた藤原氏の菩提寺で、そこには最後まで義経をかくまった藤原秀衡(ひでひら)のミイラが安置されていたのです。調査に同行した評論家の大仏(おさらぎ)次郎(じろう)は、秀衡と対面するにあたり、鎌倉にある自宅の庭から桜の枝を持って行ったと言います。鎌倉は義経を追い詰め、黄金楽土であった平泉を滅ぼした頼朝が幕府を拓いた場所です。秀衡に対する謝罪の気持ちを桜に託したものでしょう。
「散る桜 残る桜も散る桜」 良寛の句です。先人たちは、桜に自分の生きざまを重ねて、その想いをつないできました。人間の存在はいつの時代もあまりに小さく、風に舞うはなびらのようでもあります。しかし、どのはなびらにもそれぞれの願いがあり、人生があることは、間違いありません。
そんなふうに考えれば、「病気」は客観的なものではなく、ひとりひとりの「病の物語」に変わります。どんなに科学が発達しても、医療はそれぞれの物語を大切にして、それに共感し、寄り添うようなものであってほしいと思います。わたしたちの気持ちの持ち方ひとつで、それは春の夜の夢ではなくなるのではないでしょうか。
今年も上越総合病院に変わらぬご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。