新潟県厚生農業協同組合連合会 上越総合病院

初期臨床研修

2024年06月07日

こじょんのび便り!第11号

  
 2年間の研修も折り返しとなった。時の早さを感じずにはいられない。1つ上の先輩方がこの病院を旅立ち、ポカンと席の空いた研修医室。もの寂しいと思えたのも束の間、新しい後輩たちが入ってきた。後輩たちの活気のある声が研修医室に響き渡り、新たな1年の始まりを感じる。
 もう一つ春の訪れを感じさせるものがある。ツバメの巣だ。東南アジアで秋冬を越したツバメが、春になってこの病院にやってくる。1年ぶりにツバメの巣をみて、私はこの1年に思いを馳せる。振り返れば私の研修生活はこのツバメに支えられたのだった。
 私は昨年から初期研修医として働きはじめた。当時の私はというと、社会人のなりたてということもあり、とにかく気概に満ちていた。いろんな可能性を信じており、何事にも精力的に取り組もうとする一方で、その気持ちが空回りしたことも多かったように思う。概ねは充実していた反面、これで良いのかな、と一抹の不安を抱える日々だった。そのような心中の5月頃、仕事から帰るときにふと病院の玄関にツバメの巣ができているのに気づいた。最初は心もとない木屑の集まりであったが、数日経たずして立派な巣に成長していった。これほど近くでツバメの巣を見るのは初めてだったため、小動物とは思えないその技巧にすごいなぁと感じずにはいられなかった。それからの毎朝は、病院にくる度にツバメを探すことが楽しみとなっていた。
 そんな心の拠り所となっていたツバメの巣であったが、一度危機に瀕することがあった。ある日を境にツバメの巣がなくなっていた。誰かの手で取り壊されたのだろう。病院という施設である以上は仕方ないのか、となんとか理解する一方、ツバメたちは大丈夫だったのかな、と少し心配な気持ちにおそわれた。
 そんな事件からしばらく経過したある日、玄関に巣台ができていた。ツバメの巣が取り壊されたのを案じた職員が立ててくれたのだった。何て心優しい病院なのだろう、と私は感嘆した。間もなくしてツバメが新しく巣をつくった。夏になると雛が成長し、大空を飛び交うようになった。儚く小さな巣で懸命に子育てをしている姿を見て、私は生命の力強さを感じたのだった。
 秋冬にかけては季節の影響もあってか暗く落ち込むことも多かった。たくさんのことを学んだし、たくさんの経験をした。救えた命もあったし、救えなかった命もあった。医療の限界を悟り、自分はそれにどう向き合っていけば良いのか。今後医療に携わる上でどんな生きる意味を見出せば良いのか。深く考える日々が募った。心の拠り所となっていたツバメたちもいつしかこの病院からいなくなっていた。
 そのように深く考え込むこともあったが、心の支えとなったのは研修医の同期だった。みんなで各々の気持ちを打ち明け合うことができたし、みんなの努力している姿を見て、自分もより一層頑張ろうと思えた。さらには研修医の先輩、指導医の先生、教育研修センターやコメディカルの方々と、本当に多くの人に支えていただいた。心もとない私であったが、周囲の支えのおかげで成長することができた。年を重ねるたびに1年は早く感じてしまうものであるが、昨年度は確かに色濃く、鮮やかな時間だった。
 1年という時が流れ、研修医の後輩ができた。2年目という実感がわかないまま、高田城址公園の夜桜もとうに終わってしまった。本当にあっという間だなぁと実感する。そんな5月の半ば頃、また病院にツバメがやってきた。ツバメがもといた巣に戻ってくる確率はわずか15%であるという。私は1年を経てツバメがこの病院に帰ってきてくれたことが素直に嬉しかった。こうして毎朝ツバメを探すのが再び私のルーティンとなったが、昨年とは違って少し晴れやかな気持ちだ。ときには少し物思いに耽る日々もあるが、ツバメを見るたびに大丈夫、頑張っていると私は自分にエールを送る。
 来年はこの病院を旅立ち、次のステップに進まなければならない。これからは進路や結婚といったたくさんの人生の選択肢が待っている。そんな今後の人生について考えるとどうしても気が引けてしまう。自分の可能性がだんだんと狭まってしまうのではないのか、不安な気持ちになる。ただ、ツバメが大空を飛び東南アジアへと旅立つ姿に思いを馳せるとそんなこともちっぽけに思えてくる。これからの人生はもっとたくさんの可能性にあふれているはずだ。
 ツバメは今年も私を置いて先に病院を旅立つだろうが、私はもうツバメがいなくてもやっていけると思う。人生の岐路に立たされたとき、私はあのツバメに思いを馳せ、そして研修での日々を思い起こす。そして自分にエールを送るのだ。頑張れ私と。それでもほんのり不安な気持ちは残るのだが。

 
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