2012年06月05日
二つのE
このコラムを読んだ某女史から、「小生なんて、お年を召した方の文章みたいですねー。」と、実に素直な感想をいただいた。ついでに「もっとこんなことを書けばいいのに」と教育的指導があり、ありがたくそのお言葉を頂戴した(内心少しばかりムッとしたけれど)。
じょんのび先生は照れ屋なのである。私とか僕とか、よう言わんのです。そんなわけで、小生と書くことにしている次第。辞書を引くと、「自分と同等か目下の人に、自分をへりくだっていう言葉」だそうである。読者のほとんどは研修医や学生のみなさんだろうから、まあ、よかろう。ということで今後も小生で勘弁してください。ついでながら、昔の文士風の文体は意図的なものであるので、これも何卒ご容赦のほどを。
前置きが長くなったが、忠告を容れて(笑)、今後しばらくは当院の研修医について、その日頃の様子を書いてゆこうと思う。まずは今朝の患者さんのことからである。
高齢男性が胸痛と呼吸困難で救急搬送されてきた。研修医のA先生、初期研修を終え、循環器の後記研修を始めたB先生と一緒にERに向かう。すでにラインが確保され、高流量酸素が流れている。手足は冷たく、脈は小さい。呼べば返事をするが、もうろうとしている。高血圧で治療中なのに、血圧は70台、モニター心電図は幅の広いQRSの心房細動で、心室性期外収縮が頻発している。
この状態を一言で表現できますか。A先生はわかっていた。そう、ショックである。では、ショックの原因は。突然の発症で胸痛があるから心原性ショックでは、とB先生。十二誘導心電図をとる。「II、III、aVFで少しSTが下がっているみたい」とA先生。「脚ブロックでもないのに、QRS幅が広いですね。心エコーとりましょう」とB先生。左室の広範囲にわたって壁運動が著しく低下している。緊急カテですね、とB先生。一日の長がある。
もう一度心電図を見てみよう。STが下がっていたら、上がっているところがないか探すことだ。I、aVLで少しSTが上がっているだ ろう。きっと左主幹部が詰まったAMIだ。VFになる前に対応しよう。除細動器のパッドを貼って。カテ室へ。急いで!-これがそのとき指導医の考えていたことである。
カテ室に運ぶ。PVCは増え続けている。IABPを駆動させる。冠動脈を映す。予想通りの左主幹部閉塞である。PCIに移る。血栓吸引をして、ステントを入れる。詰まっていた先に、再び血液が流れだす。生きよ、という願いが込められているかのように。
ER到着から血行再建まで30分程度であった。依然重症ではあるが、一つのヤマは越えた。よく生きて病院にたどりついたものだ。VFに陥ることなく辛抱してくれた。まさに紙一重である。患者さんに感謝する。
EBM(evidence based medicine)という。エビデンス、すなわち科学的データに基づいた医療をせよという意味である。学生時代はたくさんのエビデンスを習ってきたことだろう。しかし、EはexperienceのEでもある。経験を積むことなしに、臨床医の進歩はない。AさんとB君、そして指導医との間にあるのは、この経験の差である。若いうちは、とにかくたくさん患者さんを診ることである。豊富な経験が、先を見通す望遠鏡を与えてくれるのである。
ICUに帰室して、Aさんが言った。「何をカルテに書いたらいいのか、何を質問すればいいのか、さっぱりわかりませんでした。」ドンマイ。その目で見てきたのだから、大丈夫さ。
夜、帰り際に様子を覗きにゆくと、患者さんの傍らにAさんとB君がいた。血行動態のデータを検討しながら、治療方針を話し合っている。彼らの将来は明るいに違いない。