新潟県厚生農業協同組合連合会 上越総合病院

初期臨床研修

2013年08月05日

生まれいづる悩み

暦は八月になったというのに、当地ではまだ梅雨空け宣言を聞かない。それどころか近隣では豪雨で被害が出ている有様である。被災されたみなさまには心からお見舞いを申し上げたい。それにしても、夏の青空が恋しい日々である。

さて、このホームページにもアップされているように、七月に二度、外国人講師を招いて教育回診を行った。今月も亀田総合病院集中治療科の笹野先生を招いて、合宿教育回診が行われる。研修の夏、である。

一年目の研修医に、その際に配布する資料を作成してもらっている。彼らが経験した症例を、主訴、病歴、review of system、身体所見、問題リスト、というふうに、整理してまとめる作業である。そこには当然臨床推論が必要である。彼らの原稿を添削するのは、小生の仕事である。いろいろと感じることがある。

彼らの草稿ははっきり言って拙いものである。たくさん赤ペンを入れる。それを見た彼らは多分がっかりするのであるが、間もなく一念発起して、修正稿を持ってくる。小生がまた赤ペンを入れる。この繰り返し、いわば根競べである。

とはいえ、みんなが読む資料だから、自分の知識や考え方が露わになる資料だから、彼らは一所懸命である。何とか完成する。当日は参加者から忌憚のない質問が飛ぶ。冷や汗をかき、ときには指導医に助け舟を出されながら、回診が終わる。開放された彼らに、とびきりの充足感が待っている。努力が報われる瞬間である。

本来であれば、学生時代にこういう作業を繰り返し、卒業する頃には楽勝で出来るようになっているべきものであろう。医学教育の貧困さを思う。だが、ないものねだりをしても仕方がない。線路がなければ工事をして新たに敷設するのみである。荒地を開墾するような作業だから、楽ではないに決まっている。だが、それを越えなければ進歩はないのだ。

四月に立案した研修カリキュラムを変更したいという輩が現れるのもこの時期である。数か月間の医師としての経験を経て、彼らのベクトルにも若干の修正が必要になるのだろう。Tailor madeなプログラムを売りにしている当方としては、変更に支障はない。変えたいということは、進歩して俯瞰できる世界が広がったのか、現状に不満足で焦りがあるかのいずれかであろう。何かが足りない、このままでいいのかという思い、生まれ出づる悩みが彼らを駆り立てる。

研修医が指導医やコメディカルにフィードバックを受けている場面を数多く見かけるようになるのも、この時期である。談笑していることもあるが、かなり厳しい口調で注意を受けているものもある。愉快なことより、心に痛いことの方が多いだろう。悩みは尽きないはずである。

教育とは、人の考え方を変え、結果として行動を変えることだという。だとすれば、それを受ける側は、当然変わってゆかなけれなならない。目標を変える必要はないが、そこに至るプロセスを変える。考え方を変える。勉強法を変える。習慣を変える。こだわりを捨てる。

さなぎが脱皮するように、あるいは子供の成長痛のように、変えることには痛みを伴う。だが、それを受け入れなければ、進化の扉は開かないのである。ダーウィンは言った。適応してゆく(必要に応じて自身を変えてゆく)ことが出来る生物が生き残るのだ、と。

君たちはまだ気づいていない。自分たちが少しずつ変わっていることを。自分の目に映る世界が広がってきていることを。小生には、君たちの表情が凛々しくなってきたのがよくわかる。心配はいらない。これからも、ともに励もう。

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