新潟県厚生農業協同組合連合会 上越総合病院

初期臨床研修

2014年12月18日

飛べ!

例年より早い大雪に見舞われ、気が付けば年の瀬である。このところ諸事あわただしく、すっかりこのコラムもご無沙汰してしまった(すみません)。雪と格闘して腰痛を抱えつつ、久しぶりにPCに向かっている次第である。

この秋もさまざまな行事があった。「誰も教えてくれなかった風邪の診かた」の岸田先生にお越しいただき、抗生物質の使用法についてレクチャーをいただいた。「バイタルサインからの臨床診断」の入江先生には、例によって教育回診でご指導をいただいた。病院祭では職員や地域の皆さんを前に、皆で劇を披露してくれた。スモールグループディスカッションを通じて、医師のプロフェッショナリズムについて考えた。もちろん日々の研修は目の回る忙しさである。わが研修医諸君にとっては、濃密な時間だったに違いない。文字通りの「実りの秋」であっただろうか。

診療の合間に、ベッドサイドで研修医たちに質問をしてみる。「(寝汗を訴える患者さんについて)慢性炎症や悪性腫瘍などが隠れていないか、どうやって調べる?」といったふうに。皆さんなら何と答えるだろう。

「CTをとります。」と言うかもしれない。間違いではないが、第一選択ではない。

「身体所見をとります。」 そのとおり。でも、どのような所見を確かめたいというのだろう。漫然と診察していても、異常所見に気がつかないことはよくあることだ。

「病歴を確認します。体重減少とか、発熱とか、夜間の呼吸困難の有無とか。」 よいアイディアである。自分の頭の中に想定する疾患があり、それらに関連する徴候の有無を病歴で確かめる。その過程で鑑別疾患を絞り、身体所見でさらにその精度をあげる。検査はそれからでよい。そうすれば、いきなりCTをとらずとも、血沈、検尿、血算などの簡便な検査で検査前確率を吟味し、理論的で効率の良い診断へのプロセスをたどることができるだろう。

このような臨床推論の力を身につけてもらうことが、研修の大きな柱である。わが研修医たち。始めは何も答えることができなかった。当たり前である。半年を過ぎるころから、「CT」と答えるくらいのレベルになった。今の一年生は「身体所見」くらいのレベルだろうか。二年生は「鑑別診断を念頭に置いた、焦点を絞った病歴」の段階に達しているはずだ。君たちの進歩の跡は、そのままこれまでの研修の成果であり、第三者から見れば研修プログラムの評価であるということになる。

最近は臨床推論と同じような意味で、「批判的思考」という言葉を聞く。元はcritical thinkingという教育用語である。詳細まで正確にその意味を把握しているわけではないが、自分なりの判断基準を持ち、言われたことを鵜呑みにするのではなく、「本当にそうなのだろうか」と吟味しながら理解し、取り入れる学習姿勢を指す意味で用いられているように思う。教育回診も、日々の指導医とのディスカッションも、この批判的思考のトレーニングである。その産物として臨床推論の筋道が築かれる。

考えたら、それを実践する。うまくいけば、それが君たちの引き出しに財産として残る。成果が出なかったら、その原因や対策をもう一度批判的思考で考える。そして再度実践する。このような思考-省察-実践のサイクルを習慣づけることが進歩の鍵である。

「思考の整理学」の外山滋比古先生流に言えば、自分で考えることのできる人は、エンジンを搭載し、自分の意志に従って、自分の力で飛んでゆける飛行機である。それができない人は、どんなに美しく飛んでも、行く先を風に左右されるグライダーでしかない。

医療が直面する問題が複雑化し続ける今こそ、飛行機が求められるのである。挑戦しがいのある目標である。大晦日には、それぞれこの一年を振り返ろう。そして来年もともに励もう。きっとだよ。

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