2015年07月22日
文体は人を表す
指導医として、研修医諸君の書いた文章をチェックする機会が多い。カルテの記載、レポート、学会発表のスライドや原稿、教育回診の資料など。何も見ない日はないと言ってもよい。チェックというと上から目線で印象が悪いけれど、なるほどと考えさせられる内容もあり、小生たちにとっても勉強の場である。その意味では、君たちに感謝しなければならない。
そんな中で、気になることがある。語りことばと書きことばの区別がきちんとできていないことである。別の言い方をすれば、記録に残したり、公文書として残したり、公の場で聞いてもらったりする文章には、友達と会話をするときの表現を持ち込んではいけないということである。
具体的に小生が違和感を感じるのは、助詞、いわゆる「てにおは」が抜けることと、業界一般に通用しない業界略語が使われがちな点である。
「てにおは」が抜けるというのは、たとえば次のような場合である。
「○月○日当院受診した。」
これは正しくは、
「○月○日に、当院を受診した。」
もしくは、
「○月○日、当院を受診した。」
であろうと思う。類似の表現はあちこちで見受けられる。
「患者胸痛自覚したため….」
ここはやはり、
「患者が胸痛を自覚したため….」
であろう。「腹痛消失し….」ではなく、「腹痛が消失し….」である。
業界全体では一般的でない略語が用いられる例として、たとえば「胸苦」「呼吸苦」などがある。それぞれ「胸内苦悶(あるいは胸苦しさ)」「呼吸困難」と言うべきであろう。ちなみに、ナースの使う略語に「食介」というのがある。わかりますか?「食事介助」の略である。通勤快速を通快と略すようなウィットが感じられる。思うに、略語のセンスは医者よりもナースの方に一日の長がある。頭が柔らかいということであろう。
話し言葉で習慣になっている表現といえども、そのまま公けの文章に書いてしまうのはNGである。言語は時代とともに変わってゆくものであるから、固いことを言うつもりはない。ただ、文体は人を表すとも言う。その時代の標準的なスタイルを逸脱すると、読んだり聞いたりする方には違和感があるし、肝心の文章の内容や発表者の能力まで過小評価される懸念もある。
現在の医学界では、カルテや学会発表、サマリーなどに、助詞なし文章やローカル略語を許容する文化はまだ醸成されていない。ここは我慢である。トレーニングの一環と考えて、きちんとした文章を書くことを心がけてはどうだろう。そんな小さな積み重ねが、しばしば大きな飛躍につながる道だったりするのだから。\p>