2016年12月26日
前回のコラムのあと、マッチングの発表やら、ティアニー先生の教育回診やらで実にあわただしく、気がつけば今年ももう終わりです。まさに光陰矢の如し。毎度のことながら、随分とごぶさたしてしまったことをまずお詫びいたします。 さて、指導医の本音の続きです。指導医講習会に参加する指導医からは、当世研修医気質として、こんな意見をよく聞きます。曰く、 「メンタルが弱い」「コミュニケーションが苦手」 いろいろと耳にするところによれば、現在二年間で初期研修を修了できない研修医が全国平均で1-2%程度存在し、その主な原因は病気で、多くはメンタルな問題だそうです。これを見れば、確かに強靭なメンタルだとは言えないかもしれません。 これはひとり医師の世界に限った問題ではないようです。医療ソーシャルワーカーや看護師さん、検査技師さんなど病院の多職種で、ひいては医療を離れた一般企業のさまざまなところで、同じような悩みが語られているように思います。曰く、 「簡単にへこんでしまう」「指導に手間がかかる」「すぐに体調が悪いと言う」「注意すると逆切れしてしまう」.... こんな若者気質を、たとえば「ゆとり世代」「新型うつ」というような言葉でステレオタイプにとらえる傾向があるようにも思います。その原因を評論家はさまざまに語ります。少子化やITの普及によるバーチャルな世界への没入、それに伴うコミュニケーションチャンスの減少、低成長社会の影響などがやり玉にあげられているようです。 詳しい分析は専門家に委ねるとして、プログラム責任者としては、研修を修了できるだけの心身のタフネスは最低限持っていてほしいと思います。そのためのヒントになるかどうか、いくつか気づいたことを書きます。 第一に、正解を求めないことです。国家試験をはじめとして、医師になるまでの多くの場面で〇×式の客観試験を受けてきているので、どうしても「正解は一つだ」と考えがちになります。最近はSNSの普及もその一因でしょうか、政治や経済など、社会のいろんな場面でこれが顕著で、すべてを善悪、敵味方の二者択一で理解しようとする傾向があるように感じます。 とはいえ、それは数学や物理の世界のこと。人間世界では白黒がつくことなどはまれで、グレーな世界で少しでも良いものを求めて皆もがいているのです。医療はその最たるものです。唯一の正解がない、ということは、みなさん一人一人のパーソナリティーも多様でよいということです。人と違って構わないし、人と違うことを誇りにしてほしいと思います。 第二に、そんなお互いの個性を尊重してほしいということです。人は認められることで自信を持ち、成長してゆきます。自分の考えと違うからという理由でその人との間に壁を作るのではなく、自分と違う意見を認め、取り入れるように心がけてほしいと思います。そのことが自分の引き出しを増やし、成長につながります。相手はあなたのことを「自分を尊重してくれた人」として大切にしてくれることでしょう。 この二つのことに気をつけるだけで、心が軽くなり、人前に出るのが怖くなくなるかもしれません。 もちろん、多様性とわがままは決定的に違います。自分の個性を主張する前に、社会や病院の約束をきちんと守るのが、世の中のエチケットですよね。 研修病院として、そんな文化が作れればいいなあ、と夢見るオヤジのつぶやきでした。指導医の本音、次回も続きます。
2016年11月29日
久しぶりの登場になります、こじょんのびです。 久しぶりすぎて書くのに時間がかかりました。 上越総合病院では年に数回、外部の先生を招聘して教育回診が行われます(過去ブログ参照)。今回は「診断学の神様」と言われているローレンス・ティアニー先生の教育回診でした。 世界のトップに上越で会える機会があるって、正直すごいですよね。 院外の先生方や学生さんもいつもより多かったのは気のせいではないはず。 そんな中、今回の教育回診では発表者として参加しました。 教育回診への参加はしていたものの、発表者としての参加は初めてでした。 プレゼンテーションの準備や発表、質疑応答などそれなりにできたところもあればあまりうまくいかなかったところもあり若干苦い経験になりましたが、いい経験になりました。 初期臨床研修もあと少しとなってきましたが、まだまだ日々研鑽していきたいと思います。
2016年10月26日
10/15、16に上越総合病院で行われたCPVS(Clinical Physiology of Vital Sign)に参加させていただきました。 今まで初期研修を行っている間、バイタルサインを見て考える機会は多くありましたが 漠然と考えていました。 今回のセミナーで異常なバイタルをどのように解釈し、どういう思考過程でアプローチすればよいかを学びました。 講義を受けた後に実践形式のシミュレーションを行いアウトプットすることで考え方を頭に叩き込むことができました。 またシミュレーションの後には講師の先生方にもっとどのように考えればうまくいったかなどを教えていただきました。 とても多くの症例を経験することができ、あっという間でしたがとても内容の濃い2日間でした。 セミナーの直後から救急科を回り始めたので今回学んだ知識を意識しながら実践で活用し、より自分のものにしていこうと思います。 最後になりましたがCPVSを企画してくださった入江先生をはじめとする講師の方々、運営面でサポートしてくださった事務局の方々、本当にありがとうございました。 研修医 藤原優太
2016年09月20日
あんなに暑かった夏が何だか遠い昔のように、朝晩は肌寒い日もあるこの頃。古のことわざのとおり、「暑さ寒さも彼岸まで」ですが、みなさん風邪などひかずお元気でしょうか。 さて、前回に続いて、今回も指導医の本音です。彼らの話の中によく出てくる話題を少し具体的に取り上げましょう。 「今の研修医は過保護だ。」臨床研修制度のもとでは、みなさんはアルバイトをせずに生活していける収入を保証され、過重労働にならないように法による保護を受けています。おまけに希望に沿ったローテーションが可能で、指導医に手取り足取り教えてもらえる環境が整っています。プログラムも週間予定もなく、俺についてこい、見て盗めと言われて育ったスパルタ世代の指導医にとっては、確かにみなさんは恵まれすぎているように思えるのかもしれません。 しかしながら、味方を変えれば、これはうらやましさの裏返しでもあります。そもそも後輩も自分たちと同じ苦労をするべきだという発想は誤りですよね。自分たちの持っているものを君たちに与えるから、君たちは自分たちが味わった苦労をせずに、ここまで追いついてきてほしい。そして余っているエネルギーを新しいことの創造に向けてほしい。そう考えるべきでしょうし、多くの指導医はそのことをわかっています。その証拠に、彼らは最後にこう言います。「今の研修医は恵まれているよな。うらやましい。」と。 「今の研修医はおとなしい。積極性がない。」これもよく耳にする意見です。小生もそう感じるときが多いです。景気が低迷して大きな成功は望めなくなり、野心や向上心を持つよりは現状のポジションを慎まく維持していたい、みなさんはそんな時代の雰囲気を映しているのかもしれません。そうだとすれば、そんな閉塞感漂う世の中を招いたわれわれ先輩世代にも責任はあります。 とはいえ、そのことばかりにはしたくありません。患者さんの困難な問題を解決しようとするのが医療ですから、医療者はもともと困難の克服を目指すベクトルの上にいるのです。だとすれば、私たちには難しい状況であればあるほど、新しい発想で行動したり(イノベーションと言ってもよいでしょう)、リーダーシップを発揮したりすることが求められているのだと思います。 だからこそ、みなさんにはウザイくらいに積極的になってほしいと思います。それには自分で考えて、構築した自分の考えを発信することです。自分の頭と度胸を鍛えるのです。指導医が何でもかんでも手取り足取り教えるのは、みなさんが自ら学ぶ機会を奪い取る行為だと思います。そんなわけで、小生は明日からも研修医に質問をし続けるでしょう。 「今の研修医は日本語が下手だ。」みなさんのサマリーをチェックするたびに指導医がぼやくことです。小生もこの点については、残念ながらアグリーです。とくに「て・に・を・は」の前置詞が抜けていることが多いことと、口語(話し言葉)が公式な文書(カルテやサマリー、学会発表など)に混在していることが気になります。 文章が上手になるのに王道はありません。たくさん読んで、たくさん書くことです。書いたらそれを上手な人(サマリーなら指導医)に読んでもらって修正を受けることです。読むときは音読するとなおよいかもしれません。たかが作文と言うなかれ。文章が書ける人は語彙も表現も豊かになり、患者さんや医療スタッフとのコミュニケーションも上手です。論旨的思考を養う基本は数学ではなく、文法にあります。「字は体を現す」ように、文章は作者の知識、能力、人間性を雄弁に物語ります。初対面の指導医があなたが書いたサマリーを読んだとき、この研修医を指導するのが楽しみだと思うような、そんな文章を書きたいものですよね。 指導医の本音、次回も続きます。
2016年08月08日
今日も青空が高く、突き抜けた陽射しがアスファルトに照りかえります。夏本番です。みなさん、お元気ですか。 今日は先月末に開催された、第1回上越総合病院指導医講習会の話題です。臨床研修病院で指導医として研修医を指導するためには、指導医資格を手にする必要があります。医師としての臨床経験が7年以上であることに加えて、厚生労働省が認める指導医講習会を受講していることがその要件です。 新潟県内ではこれまで年1回、新潟市内で指導医講習会が開催されてきました。とはいえ一回の講習会の受講者数は50名までという制限があることや、合宿形式で16時間以上の講習を受けなければならない(!)という規程もあって、指導医講習会を受けることができずにいる上級医もたくさんいます。わが病院にもそのような先生方がおられるので、いささかハードルが高いけれども、思い切って今回当地で開催することにしたのです。 講習会には主として新潟県、一部富山県や長野県から、合計36名の先生方が受講に来てくれました。30歳代から60歳代、内科系から外科系まで、さまざまな経歴の錚々たる顔ぶれです。講習をファシリテートするタスクフォースの先生方も、全国津々浦々から集まって下さいました。 講習会の内容は、厚労省の指針によってほぼ決められています。研修プログラム立案に関すること(研修目標、方略、評価)がメインテーマで、そのほか効果的な指導法について、臨床研修制度についてといった内容について、ワークショップ形式で会は進められてゆきます。「教わる」のではなく、参加者が皆で知恵をしぼって考える。みなさんの日々に研修に近い感じです。二日間缶詰になって、脳の普段使わない部分を使って、指導医の面々が唸りながら額に汗して考え、討論をします。みなさんに見てもらいたかったです。 さて、今日このコラムで書きたいのは、講習会終了後のアンケートや、休憩時間の会話に垣間見ることのできる、指導医の本音です。 どこの指導医講習会でも必ず出てくるのは、「今の研修医は恵まれている」という意見です。われわれの頃はこんな講習を受ける機会などなかった、見よう見まねの研修で、指導医は叱ることはあっても教えてくれなかった、質問しても「見て覚えろ」と言われた、といった具合です。指導医の発言に嘘はありません。小生も指導医に系統だった教育を受けた記憶は希薄ですし、そもそも研修プログラムそのものが存在していませんでしたから。 同じくらい聞こえてくるのは、「研修医をどう指導したらいいのかわからない」「研修医が何を考えているのかよくわからない」「問題行動をとる研修医にどう接したらよいのか」といった、いわば研修そのものについての悩みです。系統だった指導を受けてこなかった指導医たちには、教育や指導のノウハウがありません。そもそも後輩を指導するという文化がありません。そんな中で「よき教育者たれ」と期待されることへの戸惑いだと言ってもよいでしょう。 この悩みが嵩じて、臨床研修制度そのものに背を向けてしまう指導医もいないわけではありません。しかしながらほとんどの指導医は、後進の成長を助けるために、期待される役割を果たそうと悩んでいるのです。 いくつになっても、成長するためにもがき続ける。指導医も研修医もそこは変わりません。そう思えば、いまいちだと思っていた指導医の姿にも、共感ができるかもしれません。 次回はもう少し具体的に、指導医が研修医に対して感じていることをお伝えしましょう。それまでくれぐれも夏バテにご注意くださいな。では、また。
2016年06月30日
上越総合病院で研修させていただいている研修医一年目の長谷川裕一です。 今回は上越総合病院の研修医として糸魚川での教育回診に参加させていただきました。 講師は吉祥寺あさひ病院の根本隆章先生で、主に感染症に関わる講義をしていただきました。非常にわかりやすく、勉強になりました。まずはグラム染色で染めるところから始めてみようと思います。また研修医同士の議論も活発でその中で学びを深めることもできました。次回もまた参加したいと思います。ありがとうございました。 研修医 長谷川 裕一
2016年06月27日
新専門医制度に対応するためのプログラム申請や、来月当地で開催する指導医講習会の準備であわただしい思いをしているうちに、季節はいつの間にか梅雨を迎えました。一年生も研修開始後ほぼ三か月が過ぎようとしています。白衣が似合ってきました。二年生は将来の進路を考えながら、選択期間を利用してさまざまな施設に研修の場を広げています。今週は、今年度初めての教育回診が糸魚川総合病院で行われました(こじょんのびのブロクにアップされることでしょう)。みな大過なく研修を進めているようで、何よりです。 今年は今のところ空梅雨の兆しですが、梅雨といえばあじさいですね。今回は閑話休題、ネットであじさいの薀蓄を探してみましょう。 漢字では紫陽花と書きます。でも、これはもともと唐の詩人白虚易がライラックにつけた名であったものを、平安時代の源順という学者が誤って使って広まったものだとか。専門家の言うことは必ずしもあてにならずと言うべきでしょうか。耳学問よりも自分で確かめたり、体験することがよほど大切だということかもしれません。本当の語源は、といえば、「藍色が集まったもの」「集まって咲くもの」といった説が有力なようです。たしかに一つ一つは小さな花と萼(がく)が集まって、たおやかに咲く姿を見ると、いずれも納得できるような気がします。 あじさいの花は成長とともに色を変えるのが特徴で、最初は花に含まれる葉緑素の薄い緑色、次にアントシアニンという色素にアルミニウムが加わって青く変わります。あじさいの色として一番ポピュラーなのは、この時期かもしれません。さらに日が経つと、有機酸が蓄積して赤く変わってゆくのだそうです。中にはアントシアニンを持っていない種もあり、これは白い花をつけます。 そんなあじさいの花言葉。色を変えてゆくことで、「移り気」というものもありますが、最近は語源のところで述べたようなその花の形から、「家族団欒」という言葉がよく使われるそうな。これにあやかって、結婚式のブーケや母の日の送りものにしばしば選ばれます。今は小粒でも、力を合わせて研修に励んでいるみなさんの姿に重なります。 青い紫陽花の花言葉は、「辛抱強い愛情」。一方で「高慢」「冷淡」などというものもあります。これらはみな、さまざまな場面の指導医の姿を連想させるかもしれませんね。みなさんは辛抱強い愛情だけをお手本にしてほしいものです。加えて、研修医が一人前の医師として青い色をまとうまでには、指導医の忍耐あふれるサポートがあることを心にとどめておいてほしいと思います。 ピンクに変わると、「元気な女性」。楽しいことも苦しいことも、いつでも物事を前向きにとらえて成長しようとする、若い快活さをイメージさせる言葉です。みなさんにはいくつになってもそんな姿でいてほしい。そう願っている患者さんや病院スタッフも多いことでしょう。 最後に、白いあじさい。その花言葉は「寛容」です。昨今世界中で人々が自分の所属する集団に引きこもり、集団に属さない人たちに対して容赦ないバッシングを浴びせるようになっています。本来人は多様であり、さまざまな可能性を持っています。〇か×かの二者択一で割り切ることなどできないのが、人間世界のありようであるはずなのですが。 そんな時代だからこそ、困った人の手助けをする医師という仕事を選んだみなさんには、この「寛容」の気持ちを忘れないでほしいと思います。医学的に同じ病名がついている患者さんたちでも、一人ひとりの病の物語はさまざまでしょう。穏やかな微笑みとともにそれに耳を傾け、寄り添うことができるような、そんな医療者が一人でも増えてほしい。 梅雨空を眺めながら、そんなことを考えた午後でした。
2016年05月06日
一年生が研修を始めて一か月がたちました。去年の自分の姿を思い出しながら二年生が寄り添ってくれている姿は、とても微笑ましいです。ありがとう。ベテラン指導医は敷居が高いけれど、先輩研修医には質問もしやすいもの。屋根瓦研修のありがたさです。 さて、研修を始めてみて、あらためて医療がチームで行われていることを実感している人も多いのではないしょうか。たとえば患者さんが発熱した場合を考えてみましょう。臨床推論を助けてくれる指導医のほかに、指示を受けてくれる看護師さん、検体検査をしてくれる検査技師さん、X線写真を撮ってくれる放射線技師さん、薬を準備してくれる薬剤師さん、薬を病棟に届けてくれる助手さん、点滴をしてくれる看護師さん、一連の処置をレセプトに反映させてくれる事務員といった具合です。もちろんさまざまな場面でほかの職種のスタッフがかかわることもあります。これだけのスタッフにバトンが受け継がれて、初めて医療行為が完結するのです。 では、多職種からなる医療チームが円滑に機能するには(よいチームワークを実現するには)、何が必要でしょう。まず、お互いに相手の考えていること、やろうとしていることを十分に理解しなければなりません。そのために必要なのはコミュニケーションですね。 では、良いコミュニケーションのためには何が必要でしょう。自分の考えを言葉にして伝えること、相手の言葉を理解しながらよく聞くこと、確認できるように記録をすること。これは当然のことです(とはいえ、実行し続けるのは簡単ではありませんが)。でも、それだけで十分といえるでしょうか。 みなさんが悩みを抱えていて、Aさん、Bさんの二人に相談をしたとします。Aさんは誰が聞いても頷ける正論をあなたに助言しました。でも、あなたの話をあまり聞いてくれないし、あなたの気持ちを理解しようとする雰囲気がありません。Bさんは「私はこう思うけど、でも難しいね」と、Aさんほど頼りになりません。でも、あなたの話をよく聞いてくれて、あなたがどういう人なのか、なぜ悩んでいるのかを理解しようとしています。みなさんはAさん、Bさんのどちらに相談をしたいですか。Bさんと答える人が多いのではないでしょうか。 AさんとBさんの違いは、悩んでいるあなたに対する関心、共感の有無です。人は自分に寄り添い、理解してくれる人に心を開くのです。これはチームワークについても同じこと。チームのメンバーたちは、自分たちの業務や苦労を知っている人、知ろうとしてくれる人を信頼します。これから医師として医療チームの中心となる皆さんにとって、ほかの職種のスタッフの気持ちを知ることは、とても大切なことなのです。 そのために一番良い方法は、職種の違いを越えて共同作業を体験することです。その目的で、昨今多職種教育が注目されています。学生時代から、あるいは就職して間もない時期に、他職種のスタッフと一緒に共通のテーマについてディスカッションをしたり、互いの業務を体験するものです。職種ごとの考え方の違いに基づく多様な意見を聞くことで相互理解が深まり、どの職種の仕事も大変であることを実感します。そんな中から共感をはぐぐみ、相互理解が深まり、コミュニケーションや連携が円滑になる、ということです。 このように考えると、コミュニケーションとはつまるところ思いやりの気持ちを持つことなのかもしれません。皆さんがこの4月、オリエンテーションに続いて新人看護師さんと体位交換や排泄介助、点滴などの研修をしたのも、まさにこの多職種教育の一環だったわけです。今回学んだことを、これからの皆さんのプロフェッショナルとしてのふるまいに活かしてほしい、そんなふうに思います。
2016年04月04日
北国の桜も開き始め、今年も新しい仲間がやってくる時期になりました。新一年生のみなさん、ようこそ。みなさんとこれからご一緒できることを、心から嬉しく思います。 みなさんを迎える少し前に、研修を修了した先輩たちの卒業式がありました。前途の実りを願いながらも、別れはやはり淋しいもので、何となくシュンとしていましたが、みなさんの笑顔がそれを吹き飛ばしてくれました。 二年生になったみんな。今日からは先輩こじょんのびになります。新入生のきらきらした姿を見て、去年の自分を思い出したことでしょう。みなさんは一年間、いろんなものを見て、多くの修羅場をくぐってきました。昨年に比べたら、ずいぶん白衣が似合います。自信をもって下さい。 でも、みんなまだ発展途上。振り返れば、自分に足りないこと、勉強しないといけないことがたくさんあることに気がつくでしょう。そこに成長のヒントがあります。自分を変えてゆくために、今まで以上に積極的にいろんな場面に飛び込んで下さい。貪欲に経験して、省察を重ねて下さい。後輩たちはそんなみなさんの姿をじっと見つめています。 一年生のみなさん、医師としても、社会人としても、まだスタートラインに立ったばかりです。あわてることはありません。その日の予定を一つ一つこなしてゆくことから始めましょう。しばらくオリエンテーションや、新人看護師さんたちと一緒の他職種研修が続きます。これについては次回に詳しく述べるとして、職種の違う人たちとの研修は、医師として成長してゆくための肥やしになるはずです。まずは新しい体験を楽しんで下さい。 二年という研修期間は、短いようで長いです。みなさんはこれからいろんな経験をするでしょう。愉快なことよりも、辛かったり落ち込んだりすることの方が多いかもしれません。そんなときは、決して一人で悩まないで下さい。同僚や先輩、指導医、メンターなど、誰でもいいので、相談をして下さい。当院では臨床研修病院として、全職員で皆さんをサポートしてゆくような文化を作ることを目指していますから、安心して研修をして下さい。 みなさんにお願いすることばかりではなく、われわれ研修の体制づくりをする側も、プログラムを改善してゆくために振り返りをしなければなりません。人は多様です。一括りに研修医、あるいは指導医といっても、研修に対する考え方は一人ひとり違うでしょう。その多様性は尊重されなければなりません。 一方、臨床研修にはさまざまなニーズがあります。研修医がこうしたいと思うニーズはもちろんですが、患者さんが「こんなお医者さんでいてほしい」というニーズもありますし、社会が「こんな医師を育ててほしい」というニーズもあります。厚労省が定めている、全国共通の臨床研修の到達目標もクリアできるようにしなければなりません。 多様性を許容しながらこれらのニーズをバランスよく実現し、みなさんが研修に専念できるようにすることが、臨床研修のマネジメントだと言えるでしょう。そのための環境づくりをするのがプログラム責任者をはじめとする臨床研修病院の役割だと思っています。 年に一度、研修医のみなさんにプログラムの評価をお願いしています。厳しい指摘もありますが、それこそがプログラムを改善させてゆくヒントだといえます。限られた資源(人、物、時間)の中で、少しでもよいプログラムが実現できるよう、今日もあれこれ考えます。なかなかじょんのびさせてもらえません(笑)。 お知らせです。7月23日、24日の両日、上越市内で臨床研修指導医講習会を開催します。研修医の参加も大歓迎です。興味のある方は、当院臨床研修担当 rinsho@joetsu-hp.jp までご連絡をどうぞ。
2016年02月29日
九州大学大学院の先生方が、彼らが発見した小惑星に「王貞治」という名前を申請して認められたというニュースが伝わってきました。世界のホームラン王もびっくり、といったところでしょうか。「これを機会に野球ファンが天文学に興味を持ってくれたら嬉しい」という王さんのコメントもスマートでした。 星といえば、サン=テクジュペリの「星の王子さま」の一節に、こんなことが書いてあります。大人たちは何もわかっちゃいない。本当は象を飲み込んだウワバミの絵なのに、誰に見せても帽子だとしか答えないんだから。人はなかなかその固定観念を変えることができない、自分がそうだと信じていることほど、実は真実とはまったくかけ離れていることがある、ということのたとえ話でしょうか。 このことは、自分自身にもあてはまるのではないでしょうか。 たとえば服装の好みです。自分が選ぶといつも同じような柄や色合いのものになってしまいがちです。その方が慣れていて安心ですから。でも、それは自分の可能性に目をつむっていると言えるかもしれません。いつもシックな着こなしで固めている彼女、カジュアルなものをまとったら、別人かと思うほど似合ってる。勇気を出して髪型を変えたらびっくりするほど好評で、何だか自分に自信がついてきた。そんな経験はありませんか。 わたしたちは、本当の自分を知りません。自分のふるまいが患者さんや医療チームのほかのスタッフの目にはどのように映っているか、まったく気がついていないのです。鏡に映る自分は、正面からの、少し気取った姿だけでしかありません。自分の後姿は誰にも見ることができないし、まして自分の言動が、それを受け取った人の心にどんなさざなみを作りだしたかは、全く知る由もありません。 しかしながら、周囲の人から見た自分のイメージは、そのような、自分では見ることのできない要素により多く規定されているでしょう。自分の知っている自分と人が把握している自分とは、まったく違うものなのです。 専門職としての医療者になるということは、周囲に映る自分が医療者に求められる望ましいふるまいをしているということです。おのれのイメージが周囲から見たイメージと一致していて、自然にそのようなふるまいができれば理想的だと言えるでしょう。 みなさんの研修は、そんな自分探しの毎日だと言えでしょう。では、医療のプロフェッショナルとしての姿に自分を近づけるにはどうしたらよいのでしょうか。 その方法の一つが、省察(振り返り)です。当院では一診療科のローテーションが終わるたびに、研修振り返り評価をしています。みなさんに自己目線でおのれのパフォーマンスを振り返ってもらうことはもちろんですが、看護師長さんなど他職種の指導者にも参加してもらって、外からの視点も加えた評価をしてもらっています(360度評価といいます)。 360度評価は、特に厳しめの評価をうけた場合など、みなさんにとっては心に痛いこともあるようです。その気持ちはわかります。とはいえ、意に沿わないことがあっても、ひとまず耳を貸していただくことが大切です。誰でも初めてジーンズを履いたときは、ずいぶん窮屈だと感じたのではないでしょうか。我慢して着ているうちに、それが似合う自分に変わってきたはずです。 変わることは、進歩です。さなぎは羽化するまでの間、葉っぱの裏にぶら下がって、陽射しや風雨に耐えなければなりません。でも、それを苦もなく受け入れているように見えます。その先に美しい蝶として舞う日々が待っているのですから。 お知らせです。7月23日、24日の両日、上越市内で臨床研修指導医講習会を開催します。研修医の参加も大歓迎です。興味のある方は、当院臨床研修担当 rinsho@joetsu-hp.jp までご連絡をどうぞ。