お知らせ
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2013年01月22日
お知らせ平成25年2月よりマンモグラフィー単独検診を実施します
関連リンク マンモグラフィー検診
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2013年01月15日
レジデント日記新年の当直
あけましておめでとうございます。読者諸氏には、よき新年をお迎えのことでしょう。 小生はといえば、最悪の年末年始であった。大晦日から三ケ日まで緊急カテが4件、緊急手術の必要な患者を他施設へ搬送したのが1件。おまけに元旦は当直。やせ我慢して部下たちを郷里に帰していたものだから、ほとんど病院に缶詰であった。 わずかな時間を縫って初詣に出かけた。二礼二拍手、柏手を打って一年の無事を祈り、一礼する。これだけの行為にすぎないのに、別の自分に生まれ変わったような気がする。除夜の鐘が鳴る前から続けて同じ空気を吸っているのに、日付が変わると全てが新しい。元旦の不思議である。 さて、一年の計はその元旦にあり。みなさんはどんな目標を立てたでしょうか。年の瀬には清水寺の住職が去りゆく年の一字を揮毫するが、じょんのび家では元旦に新年の心構えを込めた一字を選ぶことにしている。筆ペンですけれど(笑)。 小生の今年の漢字は「開」である。患者さんの言葉、コメディカルの意見、同僚の愚痴、そして研修医の希望や不安。それらをきちんと聞いてきただろうか。彼らの気持ちを理解しようと一所懸命でいただろうか。新しいこと、頑張れば実現すること。それらと向き合わず、言い訳ばかりしてはいなかったか。 振り返るに、自分のこだわりに引きこもって、成長のきっかけを掴もうとせず、周囲の人たちにネガティブな影響を与えてきた自分がいるように思う。もっと自分の心の窓を開きたい。様々な意見を受け入れて、自分も周囲も豊かでありたい。それが「開」である。 さて、元旦の当直の話である。新年早々、R子が一緒にやりたいと言い出した。 「ちゃんと親御さんに元気な顔を見せてきたのか。」 「大丈夫でーす。餅つきも手伝いました。」 一安心である。 トリアージナースに呼ばれてERに行くと、起座呼吸の患者がいる。高流量酸素を流してもサチュレーションが上がらない。SOSである。ICUに運んでBIPAPをつける。エコーで左室の壁運動が広範に低下している。ACSであろう。緊急カテである。 循環器の若手も親元に帰したので、小生がカテに入る。ICUのスタッフに応急処置を指示して、ERに待っている(救急車が4台立て続けにやってきた!)患者の方針をR子に伝える。 「困ったらカテ室に走れ。わかったか。」 「はい、大丈夫です。」 カテ室とERの距離が近いこと、R子が二年目で、それなりの経験を積んでいるからこその芸当である。果して左主幹部の高度狭窄であった。IABPを動かす。R子がやってくる。 「腹痛の患者さん、ソセゴン使っても痛みが悪化してます。腹満も強くなっているし、外来主治医に連絡して入院後の治療をお願いしようと思いますが。」 「CTはどうなんだ?(カテ室の端末でCT所見を確認する。)よし、そうしよう。○○先生に電話。俺の指示で連絡しましたと言えよ。」 「わかりました。」 R子はERに戻る。小生はLMTにステントを入れる。危機一発であった。 一時間ほどでERに戻る。腹痛の患者はすでに病棟に移されていた。指示した検査の結果が出揃っている。R子と結果を確認しながら、入院する患者の指示を出し、帰宅する患者には本人と家族に説明をする。 あっという間に夜が更ける。R子が言う。 「いろんな患者さんのことがごちゃごちゃになって、泣きそうでした。」 さもあろう。だが、やるべきことはちゃんとできた。よくやったぞ。 血管を開き、心を開き、R子の将来がまた開けた一夜であった。今年もがんばろー。
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2012年12月20日
レジデント日記往く年を振り返る
師走も半ばを過ぎ、今年も残りわずかである。年々月日の経つのが速く感じられるのは、の年のせいであろうか。そう言えば、月初めの雪と格闘して以降、古傷の腰痛がぶりかえして辛い毎日である(笑)。 さて、今回のコラムは今年最後になりそうなので、この一年を振り返ってみたい。 この春も、ピカピカの一年生が当院の研修プログラムを選んでくれた。本当にありがたいことである。 彼らは期待に胸を膨らませて、新しい毎日をスタートしたに違いない。その期待は萎むことなく息づいているだろうか。彼らが望んだような、実りある研修の日々を過ごしているだろうか。そうであると信じたいが、一人ひとり個性も考え方も違う。指導医も同じである。そんな人間同士が紡ぐ研修であるから、口に出せない苦労も多かったったに違いない。その悩みを聞いてくれる相手がいただろうか。 一年生から二年生に進級した仲間もいる。新入生の頃に比べたら、長足の進歩である。だが、成長の度合いに個人差がはっきりしてきた印象もある。それをpersonalityというのかもしれない。だが、願わくば、自分自身を引っ張り上げて、自主的に研鑽を積む習慣は身につけていてほしいと思う。そのうえでの個性であれば大いに結構であるが、個性という言葉の裏で、後ずさりしたり、言いわけしたりするようにはなってほしくない。 さて、指導医たる自分である。偉そうなことを言ったり書いたりしてきたが、一所懸命に研修医のことを考えてきただろうか。彼らの相談に乗ったり、彼らと物を考えるたりするときに、手間を惜しだことはなかったか。彼らを一人ぼっちにしてはいなかったか。レジナビで大見得を切ったけれど、本当に天塩にかけて彼らを育てようとしていたか。ほかの指導医たちに、そういう働きかけがどれほど出来ただろうか。 昨今の成人教育の考え方によれば、教育とは人の人生において、生涯持続する好ましい変化をもたらすことだという。それには指導する側が叱ったり、その価値観を押し付けたりするのではなく、教わる側がやる気になり、自主的に考え、行動を変えてゆくように動機づけするのが大切だともいう。 しかるに人間は感情の動物であり、しかも生い立ちや経験、考え方も多様なので、ことは簡単ではない。A男を叱ったけど、あんなに言わなくてもよかった。B子に何度も同じ注意をしたけど、もっと別な言い方があったかもしれない。C太はあのとき自分に何か言おうとしていた、なぜ話を聞いてやらなかったのだろう。 心に手を当てれば、後悔がたくさんある。 だが、下を向いてばかりもいられない。 来年はまた六人の新人が当院の門を叩く。彼らが充実した毎日を送ることができるように、研修環境を整備し直す作業を始めたところである。手間がかかるが、やりがいのある楽しいことでもある。この年になれば、説教するよりも、彼らが研修しやすいようなインフラ整備をしてやることの方がはるかに役に立ち、喜ばれるだろう。 そして来年はもっともっと研修医と話をしよう。彼らは若く、みずみずしい感性を持っている。かつて自分も持っていたが、錆びついてしまったものである。彼らに刺激を受けながら、自分も成長してゆきたい。そう思えるようになったことが、今年の小生の何よりの成果である。
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2012年12月17日
お知らせ平成25年1月より1日ドックのオプションとして 肺CT撮影(ヘリカルCT)が追加できます。
平成25年1月より、1日ドックのオプションとして 肺CT撮影(ヘリカルCT)が追加できます。 検査実施日 月~木曜:13時30分~(祝祭日除く) 検査料金 肺CT撮影:12,000円(消費税込み) お申込み・お問い合わせ 予約制となっておりますので、ご希望の方は1日ドック予約時にお申し込みください。 健診センター電話 :025-524-3167(直通) FAX:025-524-3275 受付時間:休診日を除く 月曜~金曜 9時~16時 ※ 健診センター入口よりお入りください。駐車場完備。
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2012年12月10日
お知らせ12月22日・23日「外国人講師による教育回診」のご案内
12月22日・23日、上越・糸魚川コンソーシアム主催による「外国人講師による教育回診」が開催されます。 日時・場所 H24年12月22日(土) 14:00 ~ 17:00 糸魚川総合病院 19:00 ~ 居酒屋勉強会 会場:ななふく(直江津駅近く) TEL:025-544-6235 H24年12月23日(日) 9:00 ~ 12:00 上越総合病院 講師 GautamA.Deshpande,M.D (デシュパンデ・ゴータム先生) 米国大使館 医務課 内科医 ※ 22日(土)の居酒屋勉強会では、参加者全員が各々の症例を英文にて持ち寄ります。和気藹々とした勉強会となりますので、ぜひご参加ください。
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2012年11月26日
レジデント日記あの頃の自分:その2
このところめっきり寒くなり、病院から見える山並みも雪化粧を始めた。そういえば小生が初期研修をしたA病院は標高の高いところにあり、冬は本当に寒かった。毎朝車のフロントガラスが凍って閉口したものである。 そのA病院の一年目の研修は、全科ローテートであった。外科三か月、脳外科、整形外科、小児科、産婦人科が一か月、いわゆるマイナー科が各二週間、残りは内科に充てていた。内科の内容は自由選択であった。現在のローテートに比べれば、明らかに忙しいスケジュールである。二週間程度の研修で何が身につくのか、という批判もあろう。 たしかに、このローテーションで新生児を取り上げられるようになったわけでも、骨折や硬膜外血腫の手術や、腸重積の整復ができるようになったわけでもない。しかし、フルオロッセン染色をして、細隙灯で角膜損傷を見ることができるようになった。鼻出血をバイポーラーで止血した。急性中耳炎の鼓膜をたくさん見た。イレウスの患者がいるとき、代謝性アシドーシスの兆候があれば、外科医が手術を急ぐことを知った。眼底鏡の灯りで患者の瞳を光らせながら目を近づけ、眼底を覗くことを覚えた。系統だった神経所見が苦もなくとれるようになった。発疹の記載のしかたがわかった。双合診で子宮の大小がわかるようになった。前立腺癌の硬さと前立腺肥大の固さの違いを体験した。簡単な縫合は数えきれないくらいやった。 全科ローテートが有意義であることは、言うまでもない。臨床医なら一つでも多くのことを知っていた方がよいし、一つでも多くのことが出来る方がよい。そのスタートは、経験することである。「一度も見たことがない」のと、「一度見たことがある」のとでは、歴然たる差がある。たった一度であっても、経験を通じて心の中のハードルが低くなり、その疾患の患者を診療するのが億劫でなくなる。経験が自分の背中を押してくれるのである。 初期研修の限られた期間で、全ての疾患を体験するのは当然不可能である。しかし、頻度の高い疾患については、かなりの部分をカバーできるに違いない。もちろん、一度や二度の経験で、その疾患の治療が出来るようにはなるまい(出来ると言ったら、専門医に失礼である)。だが、専門医以外の医者は、その病気を疑い、専門医に相談し、初期の安定化ができれば十分である。そこを目標にするなら、数少ない経験でも事足りるはずである。 A病院の全科ローテーションの経験は、小生にとってはかけがえのない財産である。これから臨床研修を始めるみなさんにも、ぜひそのような研修をしてほしいと思っている。幅広い経験がみなさんの医療者としての土壌を耕し、豊かにする。土地が肥えてこそ、専門の樹であれ、ジェネラルの樹であれ、伸び伸びと枝を伸ばすことができるのである。 ローテーション研修が成果を挙げるためには、超積極的に研修に取り組むことが大切である。指導医が声をかけてくるのをただ待っているだけでは、見学ばかりだったポリクリと変わらない。自分から指導医に声をかけ、「何でもやらせてください」という気迫を見せることである。「うるさい奴め、黙ってろ。」と思われるくらいでよい。やらせないとおとなしくならないことがわかれば、指導医は必ずチャンスをくれるものである(研修医が隣りでうるさいと、診療になりませんから(笑))。加えて、一所懸命な人間にはチャンスを与えたくなるのが人情というものである。 振り返れば、気の乗らない診療科の研修で居眠りしていた自分が恨めしい。同期生の中には、小生よりも明らかに積極的な仲間もいた。彼は今、内視鏡の世界では世界に名前が知られる存在になっている。後悔先に立たず、当時に戻りたくても、今となっては叶わない。ひたすらな毎日を積み重ねることこそが大切なのである。
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2012年11月09日
レジデント日記あの頃の自分
先日臨床研修プログラム責任者の講習会に行ってきた。丸々二日間の濃密な研修だったが、実に有意義であった。新しいことを学ぶのは、いつも楽しいものである。 参加者は全国さまざまな施設のプログラム責任者なのだが、肩書きや診療科はいろいろで、施設の規模も多様であり、背景は人それぞれである。研究畑を歩いてきた人はリサーチに重きを置き、診療一本でやってきた人は現場が大切だという。皆自分の経験をスタンダードとして考えており、そのため目指す臨床研修の姿も微妙に違いがある。自分の通ってきた道、特に初期研修の頃に刷り込まれた価値観は、何年経っても変わらないのである。 そう気がついたら、小生も自分のキャリア、特に初期研修時代を白状しないわけにはいかないと思った。だから今回はその頃の自分について書こうと思う。読者諸氏には、こんな経歴のプロ責だから、こんなことを考えるだろう、こんな研修を目指すだろう、と想像しながら読んでいただければよい。 さて、小生が卒業した1985年当時、当然今の臨床研修制度はなく、卒後は母校の医局に入局するのが普通であった。ただ、小生の母校は新設で、関連病院が少ないこともあり、卒業生の半分は大学を離れて全国に散らばった。大学側から、「自分の受けた教育に自信を持って、大いに他流試合をしなさい。」と景気のいいことを言われて送りだされたのである。 卒業を迎えたとき、小生は今日言うところの総合診療(当時は「ジェネラル」といった)に興味があり、スーパーローテート(同様に「全科ローテート」といった)ができる研修を受けたかった。六年間医学部の授業を受けたが、特にこれをやりたいというものも見つからなかったし、医者ならば幅広くいろんなことが出来た方がいいと単純に信じていた。また、教授回診に象徴される大学の医療の雰囲気は、いわゆる「お医者さん」のイメージと違っていて、違和感を感じていた。 決定的だったのは臨床実習中の出来事である。某診療科で入院患者が出血性ショックになった。だが、居合わせた教官は血圧一つ測定できず、右往左往するだけだった。こんな医者にはなるまいと強く思ったのである。 母校は六年間のレジデント制など、当時としては新しい卒後研修システムを採用していたが、さすがに全科ローテートのカリキュラムはなかった。そこで国内を探したところ、片手で足りるほどの数ではあったが、全科ローテートが可能な市中病院があることがわかった。その中から、自分の出身地に近いA病院を研修先に選んだのである。 余談だが、その頃から臨床研修病院という制度はあって、大学以外でもやる気のある病院は自前で研修医を採用していたのである。これらの病院の長い間の努力が、今日の新臨床研修制度を推進する大きな力になっているように思う。実際今日もこれらの施設には多くの研修医が集まっているのである。 A病院には試験があり、定員の倍ほどの学生が集まって集団面接を受けた。カリスマ病院長の独演会で、我々は自分の名前と出身大学を言ったくらいである。何を試されたのかさっぱりわからなかったが(笑)、幸運にも採用され、A病院での研修が始まった。 今は臨床研修の分野では名だたるA病院であるが、当時は内科の専門分化がようやく始まったころで、ICUも黎明期であった。ただ、心臓外科以外の診療科はすべて揃っていた。 一年目は全科ローテーションをした。小生の最初のローテート先は外科で、三か月で全身麻酔を30件ほどかけて、挿管を覚えることができた。手術は当然鈎引きで、午後になっても前夜の酒が抜けず、居眠りをして怒られた。イソジンで肌が真赤にかぶれて、一人だけヒビスクラブで手洗いをした。 思い出話は筆が進みますね(笑)。次回に続きます。
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2012年10月25日
お知らせ病院祭が10月13日に行なわれました
先日行われた、病院祭の様子を写真で紹介いたします。
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2012年10月22日
レジデント日記勇気をだそう
昼食を終え、病院の窓から外を眺める。青空にすすきがきらきら光っている。深まる秋の日々である。 先日Y子と当直をした。救急車が7台、それもことごとく入院という激しい夜であった。Y子は翌日も元気だったが、五十路の小生はゲンナリである(泣)。中にPEA→心静止の症例があり、来院後間もなく心拍が再開した。ICUでY子と治療を続けることになった。 ACLSコースで学んだことを思い出して、Y子と確認をする。過換気にしない。酸素を過剰に投与しない。収縮期血圧を90mmHg以上に保つ。急性冠症候群の有無を確認する。低体温療法を考慮する。以前にも同様の症例の経験があり、Y子は理解できているようだ。 「酸素化の目標はどのくらい?」 「サチュレーションで94%です。」 「じゃあ、換気量の目安は。」 「エンドタイダルCO2で35-40mmHgだったと思います。」 そのとおり。気道内圧曲線を描いて説明しながら、呼吸器を設定する。冷却生理食塩水をボーラス投与し、ドパミンを使うが、血圧が低い。こまごまと比例計算をして、アドレナリンの組成と投与速度を決める。心電図や心エコーは問題ない。ブランケットを巻き、膀胱温を34℃まで下げる。 気管挿管、Aライン、CVライン挿入のすべての処置をY子にやってもらった。小生にああしろこうしろと言われながらも、何とかやりとげた。医師免許取得から半年、長足の進歩である。いいぞ、Y子。 だが、治療はこれからだ。血圧は?尿量は?不整脈は?血液ガスは?電解質は?血糖は?患者の状態は刻々と変わる。何度もベッドサイドに足を運んで、Y子は一喜一憂している。 問題が起こった。翌朝の検査で高度の低カリウム血症が認められた。血行動態はほぼ安定しており、不整脈は出ていない。Y子が相談に来る。緊急事態でないことは承知しているが、補正の方法で迷っているらしい。 「輸液にカリウムを加えたらいいと思うよ。CVラインからだし、教科書に書いている濃度より濃くても大丈夫だから。」 「うーん....でも....」 どうしたというのだろう。 「頭ではわかっているんですが、もしかしたらカリウム濃度が上がりすぎやしないかと心配なんです。今まで一日に10-20mEqくらいしか入れたことがないので....」 初めて経験すること、初めて指示することへの不安である。わからないではない。 昔のことを思い出す。医師になって数日後のこと、状態が不安定な患者さんの経過を診るために、病院に泊まった。 「看護師さんたちが○○について尋ねてきたら、××と答えればいいよ。」 指導医は小生に予測指示をあらかじめ教えてくれていたが、怖くて長い夜だった。明け方になって、深夜の看護師が訪ねてきた。 「例の患者さん、痛がっていますが、何か薬を使いますか?」 指導医の指示は、「鎮痛剤は何でもよい。」である。その何でもいいことが決められない。Y子と同じ悩みである。 誰でも最初はこうである。人は臆病で、経験のないことは躊躇するものだ。それが向う見ずな危機の回避に役立っているとも言える。 だが、したことがないことでも、やらなければならないときもある。命に関わる指示であれば尚更である。勇気を絞り出して、前に進まなければならないときもあるのだ。 指導医は研修医が誤りをおかすこと、そのリカバリーに責任を持たなければならないことを覚悟している。小生が泊まり込むことになったのは、そもそもCV挿入で合併症を起こしたからだった。すぐさま処置をして患者を助けてくれたのは、CV挿入を指示した指導医であった。今夜は泊れ、自分のしたことに責任を取れ、と教えてくれたのも彼である。 研修医諸君、勇気をだそう。指導医は見ている。荷が重い宿題を出すときは、君たちに殻をやぶってほしいときだ。信頼してついてゆけばよい。 その後Y子は通常よりもカリウム濃度が高い輸液を指示して、低カリウム血症は改善した。何よりだ。次の当直もよろしく。
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2012年10月18日
患者サポートセンター便り地域連携センター便り 秋号(2012.10)
目次 新任医師紹介 リウマチ外来について 外来診療の変更について 歯科・口腔外科紹介 地域連携センター便り 秋号(2012.10)