2012年08月08日
このコラムも八回目。ときどき「読んでますよー。」と声をかけてもらえるようになった。ありがたい。反面、ネットの威力を思い知らされて、いささかドキリとする。肝心の感想はというと、身内は厳しく、院外の方々は総じて好意的だ。ともあれ、いろんな激励(?)を受けつつ、じょんのびの筆は進むのである。 それにしても、毎日暑いですねー。昼は殺人的日照りに打ちのめされ、夜は蒸し暑さに眠りを妨げられて、踏んだり蹴ったりである。もっとも、夏に弱い小生ならずとも、今年はオリンピック観戦で寝不足の輩が多いだろう。 オリンピックが真夏の祭典ならば、小生の周りでも真夏のイベントがあった。「NARS–J 2012」というのがそれである。今回はカルテの話題を離れ、そのレポートをしたいと思う。 小生の勤務する病院を含めて、上越市・糸魚川市内の四つの基幹型臨床研修病院で、「臨床研修上越糸魚川コンソーシアム」という連合体をつくり、さまざまな活動をしている(詳しくは、ホームページの臨床研修のページをご覧いただくか、病院までお問い合わせください)。NARS-Jはこのコンソーシアムが主宰する医学生と研修医のための体験型・参加型学習コースであり、Navigation for Residents and Students in Joetsu(どうってことないネーミングですみません)の略である。 今年はゲストに水戸協同病院の徳田安春先生、群星沖縄臨床研修センターから入江聰五郎先生、笹野幹雄先生をお招きすることができた。総合診療の分野でご高名な先生方である。諸先生のインストラクションのもとで、教育回診を行った。さらにコンソーシアム所属施設から指導医が集まり、消化管内視鏡、腹部エコー、ERでの循環器救急初期対応をテーマに、模擬診療(simulation laboratory)を行った。上越、糸魚川で研修する研修医と、新潟県内外からの医学生、さらに指導医たちも加わって、総勢20名強のコースであった。 教育回診といっても、ピンとこないかもしれない。そこでは、研修医が自分で担当した症例をプレゼンする。その資料を作成することからして、かけがえのない学習である。内容をチェックする指導医も、息が抜けない。一例一例丁寧に、主訴、病歴、review of system、身体所見を紡ぎ、問題リストにまとめあげる。 プレゼンを聞きながら、インストラクターの先生方は研修医や学生に質問を投げかける。その回答を考える作業を積み重ねながら、その症例の病態(病名を当てるのではなく、体の中でどのようなことが起きているのか)を見つけ出すのである。検査所見に頼らない、臨床推論と言ってもよい。この力を高めることこそ、初期臨床研修の大目標である。したがって、研修医にとっては、このうえない学習機会であると言うべきであろう。 はじめ彼らは質問にほとんど答えられない 「えーい、情けない」と言いたいところであるが、言えない。指導医たちだって答えられないのだから(たとえば悪寒と悪寒戦慄の違い、わかりますか)。 しかし、時間がたつにつれて、彼らの重い口が開き始める。去年一年生のときは「えーっと」としか言えなかったQ太郎もP子も、今年はぼそぼそと自分なりの答えを言う。半分くらいは的を得ている。いいぞ、っと思わず心の中で応援してしまう(このあたりはオリンピックのノリである。父親ですね、私は(笑))。彼らにつられて、今年初参加のR子も積極的に質問をする。すると隣で汗を拭いていたS男もボソっとしゃべりはじめる。もちろん、他の施設からの研修医も、学生も、活発に意見を交わしている。プレゼンのT嬢の口も滑らかになる。その調子だ、みんな。 二時間も経って回診が終わる頃には、彼らの表情が高揚感に包まれているのがわかる。彼らのスイッチをオンにしてくれたことを、インストラクターの先生方に感謝する。と同時に、質問の回答がわからずにいた自分、平素の研修で彼らに同じような動機づけができずにいる自分を振り返り、指導医たちはいささか複雑な心境になるのである。 ともあれ、今年のNARS-Jも、ネーミングはともかく、内容は非常に濃密なものであった。来年の夏はさらにバージョンアップさせて(ひょっとしたら春頃にも?)、また開催したいと思っておりますので、どうぞ、全国の学生諸君、上越にお越しください。オリンピックと同様に、参加すること、そしてそこでディスカッションし、体験することに意義があるのだ。お待ちしていますよ!! ちなみに、この夏のイベント以降、明らかに当院研修医たちの目つきが変わった。嬉しいことである。今もS男から「II音肺動脈成分が亢進しているので、右心不全です。診てください。」とのピッチが鳴った。思い切り空振りであったが、その意気やよし。小生も新しい教科書を買って、勉強し直そうかな。
2012年07月25日
さて、可愛い研修医たちのカルテを開いてみる。総じて頑張って書いている、と思う。病歴や検査所見がこと細かに書いてある。日々の progress note もきちんと綴られている。きっと時間をかけて、唸りながら書いたにちがいない。ジーンとくる。 何よりすばらしいのは、日本語で記載されていることである。カルテはそれを利用するすべての人にわかるように書かれていなければならない。ロンドンやニューヨークではないのだから、日本語で書くのが当たり前である。しかし、小生たち古い世代は英語で書く。もっと世代をさかのぼれば、ドイツ語で書く先輩方もいるかもしれない。そのように教育を受けたからである。 当時は、カルテは医者のものであるという考え方が支配的で、ほかの職種や患者さんにそれを見せるなんて考えもしない時代だったのだ。物事の価値観は刻々と変わる。しかし染みついた習慣は抜けず、人は変化に適応してゆけない。そんなわけで、小生のカルテは落第である(ちなみに、英語のカルテで唯一良い点は、記載するのに時間が節約されることである。日本語で同じスピードで書こうとすると、自分でもてんで読めない字になってしまう(笑))。 話をカルテの内容に戻そう。当然のことながら、改善してほしいこともある。 まず、身体所見をもっと詳細に書いてほしい。病歴や検査所見と同じように、あるいはそれ以上に、患者さんを診察した所見は重要なデータベースである。バイタルサインに始まり(呼吸数の確認を忘れないこと!)、頭の先から足の先まで系統的に、いわゆる review of system という視点にたって診察をしてほしい。どの病院のカルテにもそのような身体所見のフォーマットが用意されていると思うので、それを全部埋めるつもりで診察し、その結果を記載する。最後に重要な所見を整理してリストアップする。研修医のうちに、その習慣を身に着けてほしいのである。 以前勤めていた病院で、こんなことがあった。カルテの様式を全診療科で統一させるプロジェクトを進めているときのことである。当然のことながら、これまで述べたような理由で身体所見の用紙を入れる提案をした。しかし、某診療科の指導医から、「こんなものはいらない。○○科ではどうせ××しか診ないのだから、こんな紙を入れるだけ無駄だ。こんな紙が入っていると、書かないといけないことになってしまう。空欄になってしまうのもみっともない。迷惑だ。」 何をか言わんや、である。余談ながら、あまりにも専門分化が進みすぎると、こういう主張が正当化されてしまう。臨床医の目的は患者さんの多様な問題点を解決することにあり、問題点を抽出する刀が錆びついてはならない。総合診療が最近の学生や研修医のトレンドであるが、だとすれば、なおさらこの点が重要である。 さて、身体所見の用紙が埋まらないのはなぜでしょう。それは診察の仕方が未熟だからである。未熟、というには具体的に二つの要素がある。一つは診察の技術、アートの部分が不足しているために、所見を導き出せないという点である。もう一つは、系統的な診察の手順が身についていない、ということである。このことを書きだすと長くなるので別の機会に譲るが、自分なりの、落ちのない診察手順を習慣として(勝手に体が動くように)体に覚えこませることが大切である。根気よく繰り返す以外にこれを習得する方法はないが、根気よく続ければ必ず身につくものである。そんなわけで、system review の所見がきちんと書かれているかどうかを見れば、その研修医の診療に対する姿勢が一目でわかるのである(!)。 さて、病歴、身体所見、検査所見などのデータベースを集めたら、それらを整理して、診療の方針を立てなければならない。ここがカルテのキモであり、君たちの実力を発揮する場所である。と同時に、君たちの弱点でもある。この続きはまた次回、ということで。
2012年07月10日
昨日は日曜日。病棟の当番だったので、入院患者さんの回診をした。早朝から病棟を一周し、診察をして、所見や病状、治療方針をカルテに書く。月に二、三回の、とても貴重な時間である。研修医の受け持ち患者さんを自分なりに診察できるし、研修医が何を考えているかを知ることができるからである。 そもそも、カルテとは何か。医師法では医師は患者を診察したら、所見を遅滞なく(すなわち、できるだけ速やかに)診療録に記載すべし、と決めている。カルテを書くことは、法で定められた医師の義務なのである。 しかし、それはカルテを書くことの消極的な理由である。カルテにはほかにもさまざまな顔がある。他のスタッフと情報を共有し、互いの観察や考察を共有する場所になる。患者さんが何を語り、自分がどんな診療を行ったかの貴重な記録として、自分を守ってくれる唯一の証となる(ちなみに、患者側からカルテの開示を求められたら、基本的に断ることはできないのが今日の考え方である)。さまざまな学術研究のデータベースとなる。 これらに加えて特に研修医にとって大切なことは、カルテをきちんと書くことで、臨床医として必要な考え方のフォーマットが頭の中に作られるということである。 今はどうだか知らないが、小生が学生時代、臨床実習ではどの科でも数名の患者を受け持ち、医師と同じ書式のカルテを渡された。そのカルテを全部自分の記載で埋め、日々の経過記録を書き、実習終了時には実習期間のサマリーを作って、カルテともども提出した。また、CPCやカンファレンスの当番に当たると、対象症例のカルテやらレントゲンフィルムやらを山のように渡され、プレゼンのための資料を作った。 言うまでもなく、大変な作業であった。何を書いたらいいのかわからない。どう書いたらいいのかわからない。専門用語の意味がわからない。そもそもカルテが読めない(!)。ベッドサイドにいる時間よりもはるかに長い時間を蛍光灯の下で過ごしたものの、全く筆が進まず、カップラーメンをすすりながら半泣きで書いていたものである。最初は独力ではいかんともし難く、友人やレジデントに教わったりして、何とか締切に間に合わせていたものである(まがりなりにも医者をやっていられるのは皆さんのおかげです。お世話になりました)。 誰でもスタートはそんなものであろう。ここでくじけずに続けることが大切である。不思議なもので、我慢してやっているうちに、だんだん書けるようになってくる。知識が増えたり、先輩医師の達筆を読めるようになるのもさることながら(笑)、集めた情報を整理する方法に頭が慣れてくることが大きかったと思う。その方法論を学問的にまとめたのがPOMR(問題指向型診療記録)である。 学生時代にトレーニングをしていたおかげで、医者になってからはカルテを書くのにあまり苦労せずに済んだ。もっとも中だるみの五年目の一日、ある指導医に「もっとカルテをきちんと書きなさい」とチェックを入れられ、負けん気に火がついたことがあった。それ以後ますますカルテを書くことに心を砕き、診療情報管理士の資格まで取ったのである。 さて、当院研修医の診療録である。良い点もある。しかしながらツッコミどころが満載である。たとえば…まだまだ長い話になりそうなので、次回に続きます。
2012年06月25日
腕が怪しい医者のことを、巷間ヤブ医者と呼ぶ。患者さん同士のよもやま話の中に、「○○先生はヤブでねエ」などのフレーズがしばしば聞かれる。指導医であれ、研修医であれ、そんな話題には上りたくないものですよネ。 そもそも、なぜヤブ医者というのだろう。Wikipediaで調べると諸説あるようだ。曰く、藪をつついてヘビを出す(余計なことをして事態を悪化させる)、野巫(やぶと読む。怪しい呪術で診療する)など。小生が研修医時代に指導医に教えられたのは、「藪の中のように先の見通しがきかないから」という説で、これが一番ぴったりくるような気がする。 先が見通せないのには、いくつか理由があるだろう。疾患や病態についての知識が足りない。診断のための技術が足りない(診察しても異常所見を把握できない。診断に必要な病歴を聞き出せない)。質の高い診療をしようという熱意が足りない。等々。小生にとっても身に覚えのあることばかりである。しかし、最も大きな要因は、経験が足りないことであろう。 昔の話になるが、内科専門医の試験(今は総合内科専門医というらしい)を受けたとき、実診療で一度でも経験したことのある疾患については楽勝であった。が、経験したことのない疾患についての問題については、てんで歯が立たなかった。どんなに本を読んでも、経験しないことにはイメージがまるで沸かないのである。 腎盂腎炎の患者の血圧が急に下がったら、敗血症性ショックを連想しなければならない。気管支喘息の患者の喘鳴が聞こえなくなったら、呼吸停止が目の前に迫っていることに気がつくべきである。ワーファリン服用中の患者のPTINRが極端に延長していたなら、消化管出血や脳出血がすでに起こっていることを連想しなければならない。 こういった瞬時に先を見通す目こそが、臨床医のセンスであり、ヤブ医者に決定的に欠けているものである。このセンスは数多くの経験を通してしか身につかない。藪からヘビを出す痛い思いを何度もしたからこそ、次の失敗をしなくなるのである。 そういう意味では、研修医は例外なくヤブ医者である。彼らは藪の中にヘビやサソリがいることに気がつかない。落とし穴に気がつかず、罠にはまってしまう。手馴れた先達たちのガイドがない限り、藪を脱出できるわけがない。 だからこそ、臨床のいろんな場面で、指導医の意見に耳を貸すべきである。自分の考えと異なる助言を受けることもあるだろう。そんなときは指導医の言うことに一度は従ったほうがよい。指導医は噛まれた痛さを知っているからである。 プライドの高い研修医は、「でも、教科書にはこう書いてあります」と反論するかもしれない。だが、教科書に書いていることは過去の知識であり、常に正しいとは限らない。君たちの知識は、経験に裏打ちされない浅知恵にすぎないこともある。それはときに、正しい診断の邪魔になることさえあるのである。腎盂腎炎からの敗血症や、喘息重積発作、ワーファリンの効果過剰による出血に、気がつかなかった先輩研修医たちが実際にいたのだから。 そういう意味で、初期臨床研修の二年間は、研修というよりは修行の日々なのである。道は長いが、共に歩んで参ろうぞ。というわけで、明日もよろしく。
2012年06月07日
この時期になると、医学生が大学のカリキュラムの一環として病院に実習にやってくる。クリニカル・クラークシップと呼ばれるこのシステムは、今や全国どこの大学でも取り入れているようだ。 思い起こせば四半世紀の昔(古い話ですみません)、小生が在籍していた某大学で、全国に先駆けてこのカリキュラムが行われていた。小生も医学部六年生の一学期を、まるまる学外で過ごしたものである。大学が契約した東京都内、関東地方の病院の中から行き先を選び、内科、外科、小児科、産婦人科、精神科をそれぞれ一、二週間ずつあちこちローテーションした。そのほかに、世界中どこへ行ってもよい、electivesという期間もあった。 この間は同級生と会うこともなく、一人である。旅から旅で、次々と新しい病院に移動してゆく。不安を抱えながら、行く先々で医療の生々しい現実に圧倒された。医者になる覚悟を決めた日々であると言ってもよい。ちなみに当時は卒業後母校の医局に入局するのが普通であったが、小生はelectivesで訪れた病院を研修先に選んだのである。 さて、当院に実習に来ているC君である。大学で呼吸器内科、腎臓内科の研修を指示されてきたとかで、それぞれの指導医に頼んでスケジュールを組んでもらった。余った時間はERに出たり、研修医のレクチャーに参加してもらったりして過ごしている。物怖じせずはっきりと発言するし、人の目を見て話ができる。よく呑み、よく食べる。なかなか見どころがある。先輩研修医たちと談笑しているのを見ると、来てもらってよかったな、と安堵する。嬉しい。 そんなC君、職員検診の時期と重なったこともあって、その先輩研修医たちの採血を行う機会に恵まれた。先輩たちの温情に感謝、である。彼らの前腕にはいくつかの皮下血腫ができていたようだが、それは問うまい。ついでに小生の採血もしてもらった。酒精綿で皮膚を消毒し、「痛いですよ」と声をかけ、入ってくれと念じつつ、そっと針を進める。ひとたび血液の逆流があれば、針が抜けないように震える指で支え、シリンジを引く。その調子だ、がんばれ、と心の中で応援する。 思えば小生も、クラークシップで静注を何回か経験させてもらった。ぶるぶると手が震えて、どうにもならなかった。患者さんの罵声を背中に浴びながら、半泣きで病室から逃げ出したものである。 前回、医者には経験が必要だと書いた。若いときの経験はとりわけ大きな意味を持つ。少年の目に焼き付いたスタジアムの輝きは、生涯その心に刻まれ、彼をメジャーリーガーにのし上げるだろう。教室から外に出て、第一線の病院で、現場の風に吹かれてみよう。新しい視界が開けるはずだ。 次はあなたに会えるかもしれない。楽しみにしています。どうぞ、よしなに。
2012年06月05日
このコラムを読んだ某女史から、「小生なんて、お年を召した方の文章みたいですねー。」と、実に素直な感想をいただいた。ついでに「もっとこんなことを書けばいいのに」と教育的指導があり、ありがたくそのお言葉を頂戴した(内心少しばかりムッとしたけれど)。 じょんのび先生は照れ屋なのである。私とか僕とか、よう言わんのです。そんなわけで、小生と書くことにしている次第。辞書を引くと、「自分と同等か目下の人に、自分をへりくだっていう言葉」だそうである。読者のほとんどは研修医や学生のみなさんだろうから、まあ、よかろう。ということで今後も小生で勘弁してください。ついでながら、昔の文士風の文体は意図的なものであるので、これも何卒ご容赦のほどを。 前置きが長くなったが、忠告を容れて(笑)、今後しばらくは当院の研修医について、その日頃の様子を書いてゆこうと思う。まずは今朝の患者さんのことからである。 高齢男性が胸痛と呼吸困難で救急搬送されてきた。研修医のA先生、初期研修を終え、循環器の後記研修を始めたB先生と一緒にERに向かう。すでにラインが確保され、高流量酸素が流れている。手足は冷たく、脈は小さい。呼べば返事をするが、もうろうとしている。高血圧で治療中なのに、血圧は70台、モニター心電図は幅の広いQRSの心房細動で、心室性期外収縮が頻発している。 この状態を一言で表現できますか。A先生はわかっていた。そう、ショックである。では、ショックの原因は。突然の発症で胸痛があるから心原性ショックでは、とB先生。十二誘導心電図をとる。「II、III、aVFで少しSTが下がっているみたい」とA先生。「脚ブロックでもないのに、QRS幅が広いですね。心エコーとりましょう」とB先生。左室の広範囲にわたって壁運動が著しく低下している。緊急カテですね、とB先生。一日の長がある。 もう一度心電図を見てみよう。STが下がっていたら、上がっているところがないか探すことだ。I、aVLで少しSTが上がっているだ ろう。きっと左主幹部が詰まったAMIだ。VFになる前に対応しよう。除細動器のパッドを貼って。カテ室へ。急いで!-これがそのとき指導医の考えていたことである。 カテ室に運ぶ。PVCは増え続けている。IABPを駆動させる。冠動脈を映す。予想通りの左主幹部閉塞である。PCIに移る。血栓吸引をして、ステントを入れる。詰まっていた先に、再び血液が流れだす。生きよ、という願いが込められているかのように。 ER到着から血行再建まで30分程度であった。依然重症ではあるが、一つのヤマは越えた。よく生きて病院にたどりついたものだ。VFに陥ることなく辛抱してくれた。まさに紙一重である。患者さんに感謝する。 EBM(evidence based medicine)という。エビデンス、すなわち科学的データに基づいた医療をせよという意味である。学生時代はたくさんのエビデンスを習ってきたことだろう。しかし、EはexperienceのEでもある。経験を積むことなしに、臨床医の進歩はない。AさんとB君、そして指導医との間にあるのは、この経験の差である。若いうちは、とにかくたくさん患者さんを診ることである。豊富な経験が、先を見通す望遠鏡を与えてくれるのである。 ICUに帰室して、Aさんが言った。「何をカルテに書いたらいいのか、何を質問すればいいのか、さっぱりわかりませんでした。」ドンマイ。その目で見てきたのだから、大丈夫さ。 夜、帰り際に様子を覗きにゆくと、患者さんの傍らにAさんとB君がいた。血行動態のデータを検討しながら、治療方針を話し合っている。彼らの将来は明るいに違いない。
2012年05月21日
五月も半ばを過ぎた。肌寒かった今年の春であるが、もはや初夏の陽気である。 このコラムをスタートして三週間が経った。開始にあたり、二週間に一回は原稿を書くと公約をしたのだが、すでに約束違反である。断じて小生の怠慢ではない。忙しいのである。 循環器を専門にしているので昼夜を問わず診療があるし、副院長業務などという役職に就いているので、四六時中PHSは鳴るわ、書類を見ろと言われるわで、朝から晩まで休憩時間というものがない。ぶっちゃけた話、研修医の指導どころではないのである。 しかし、それを言っては身もふたもない。どの病院でも、良い指導医ほど忙しいのである。そんな中で何とかやりくりして研修医の役にたちたいと思っているのですよ。 というわけで、研修医も考えなければならない。指導医の限られた時間の中で、研修の成果が挙がるように工夫をするべきである。 しっかり勉強をしてほしい。当然のことである。その日にやったこと、失敗したこと、指導されたこと、感じたこと。その日のうちにこれらを片づけて、必要なことは調べておいてほしい。その過程で疑問点を整理し、指導医に聞きたいことをリストアップしておいてほしい。そうやってフレッシュな気持ちであしたを迎えるのである。 修行中の身にとってはあたりまえの態度だが、きちんとできている研修医は稀有である。机の上の散らかり具合がそれを証明している。 容易なことではないかもしれない。しかし君たちが独り立ちしたら、今の数倍の仕事をこなさなければならなくなるのだ。学生時代のチンタラと時間を無駄にする習慣を、きびきびとメリハリがあり、ビビッドな習慣に改めなければ早晩行き詰まってしまう。 一日は24時間であり、これは平等である。しかしながら、24時間もあると思う人と24時間しかないと考える人とでは、未来は大きく異なるのである。
2012年05月07日
4月も末日、世は黄金連休の真っただ中である。小生はと言えば、朝から日直である。昨日はeレジフェアで東京であった。今さらながら、指導医の毎日は過酷である。普通に休める人たちがいささか羨ましい。 一緒に仕事をするのは2年目に入った研修医のP嬢である。連休中研修医は休んでもかまわないことにしてあるが、勉強したいからと名乗り出てきた。休みのたび二日酔いでいたかつての自分を思い出すと、頭が下がる。 そんなわけで、気合が入る。高齢女性、下腹部痛である。数日前にも受診し、CTが撮ってある。腹痛の原因になるような異常はない。問診しても要領を得ない。 さあ、どうする。P嬢にささやく。ACLS-EPコースで学んだことを思い出そう。BLSサーベイとACLSサーベイをする。会話が出来ているから大丈夫だ。ラインをとって、モニターをとって、必要なら酸素を流して安全網を敷こう。それからバイタルを見よう。P嬢が言う。徐脈ですね。 もう一度情報を集める。昨年受診したとき、腎機能障害があった。CTに尿路結石が映っている。水腎や尿路感染がかぶって、腎不全が進行して高カリ、ってストーリーもあるかもしれないね。などど話しながら検査をオーダーする。心電図をとる。 何だかわからず検査をオーダーするのと、病態に関する思案の先のオーダーとでは、月とスッポンである。 はたして、9mEq/Lに達しようかという高カリウム血症である。心電図はQRS幅が広がり始めている。もうこちらのものである。カルシウムを打って、透析担当医に連絡して、メイロン、ラシックスを投与する。 腹痛という切り口だけでは、この患者をVFにしていたかもしれない。徐脈に気がついたところから、正解への道が開ける。まずは五感を総動員して注意深く身体所見をとることである。見つめなければ見えていても見えない。知らなければ見えていても気がつかない。基本はいつもシンプルである。 夕方、ICUに立ち寄る。患者さんは元気である。一方P嬢はぐったりとしているが、満足げである。新しい経験が彼女を高みに押し上げた。熱意は無駄になることがない。よかった。