2013年01月15日
あけましておめでとうございます。読者諸氏には、よき新年をお迎えのことでしょう。 小生はといえば、最悪の年末年始であった。大晦日から三ケ日まで緊急カテが4件、緊急手術の必要な患者を他施設へ搬送したのが1件。おまけに元旦は当直。やせ我慢して部下たちを郷里に帰していたものだから、ほとんど病院に缶詰であった。 わずかな時間を縫って初詣に出かけた。二礼二拍手、柏手を打って一年の無事を祈り、一礼する。これだけの行為にすぎないのに、別の自分に生まれ変わったような気がする。除夜の鐘が鳴る前から続けて同じ空気を吸っているのに、日付が変わると全てが新しい。元旦の不思議である。 さて、一年の計はその元旦にあり。みなさんはどんな目標を立てたでしょうか。年の瀬には清水寺の住職が去りゆく年の一字を揮毫するが、じょんのび家では元旦に新年の心構えを込めた一字を選ぶことにしている。筆ペンですけれど(笑)。 小生の今年の漢字は「開」である。患者さんの言葉、コメディカルの意見、同僚の愚痴、そして研修医の希望や不安。それらをきちんと聞いてきただろうか。彼らの気持ちを理解しようと一所懸命でいただろうか。新しいこと、頑張れば実現すること。それらと向き合わず、言い訳ばかりしてはいなかったか。 振り返るに、自分のこだわりに引きこもって、成長のきっかけを掴もうとせず、周囲の人たちにネガティブな影響を与えてきた自分がいるように思う。もっと自分の心の窓を開きたい。様々な意見を受け入れて、自分も周囲も豊かでありたい。それが「開」である。 さて、元旦の当直の話である。新年早々、R子が一緒にやりたいと言い出した。 「ちゃんと親御さんに元気な顔を見せてきたのか。」 「大丈夫でーす。餅つきも手伝いました。」 一安心である。 トリアージナースに呼ばれてERに行くと、起座呼吸の患者がいる。高流量酸素を流してもサチュレーションが上がらない。SOSである。ICUに運んでBIPAPをつける。エコーで左室の壁運動が広範に低下している。ACSであろう。緊急カテである。 循環器の若手も親元に帰したので、小生がカテに入る。ICUのスタッフに応急処置を指示して、ERに待っている(救急車が4台立て続けにやってきた!)患者の方針をR子に伝える。 「困ったらカテ室に走れ。わかったか。」 「はい、大丈夫です。」 カテ室とERの距離が近いこと、R子が二年目で、それなりの経験を積んでいるからこその芸当である。果して左主幹部の高度狭窄であった。IABPを動かす。R子がやってくる。 「腹痛の患者さん、ソセゴン使っても痛みが悪化してます。腹満も強くなっているし、外来主治医に連絡して入院後の治療をお願いしようと思いますが。」 「CTはどうなんだ?(カテ室の端末でCT所見を確認する。)よし、そうしよう。○○先生に電話。俺の指示で連絡しましたと言えよ。」 「わかりました。」 R子はERに戻る。小生はLMTにステントを入れる。危機一発であった。 一時間ほどでERに戻る。腹痛の患者はすでに病棟に移されていた。指示した検査の結果が出揃っている。R子と結果を確認しながら、入院する患者の指示を出し、帰宅する患者には本人と家族に説明をする。 あっという間に夜が更ける。R子が言う。 「いろんな患者さんのことがごちゃごちゃになって、泣きそうでした。」 さもあろう。だが、やるべきことはちゃんとできた。よくやったぞ。 血管を開き、心を開き、R子の将来がまた開けた一夜であった。今年もがんばろー。
2012年12月20日
師走も半ばを過ぎ、今年も残りわずかである。年々月日の経つのが速く感じられるのは、の年のせいであろうか。そう言えば、月初めの雪と格闘して以降、古傷の腰痛がぶりかえして辛い毎日である(笑)。 さて、今回のコラムは今年最後になりそうなので、この一年を振り返ってみたい。 この春も、ピカピカの一年生が当院の研修プログラムを選んでくれた。本当にありがたいことである。 彼らは期待に胸を膨らませて、新しい毎日をスタートしたに違いない。その期待は萎むことなく息づいているだろうか。彼らが望んだような、実りある研修の日々を過ごしているだろうか。そうであると信じたいが、一人ひとり個性も考え方も違う。指導医も同じである。そんな人間同士が紡ぐ研修であるから、口に出せない苦労も多かったったに違いない。その悩みを聞いてくれる相手がいただろうか。 一年生から二年生に進級した仲間もいる。新入生の頃に比べたら、長足の進歩である。だが、成長の度合いに個人差がはっきりしてきた印象もある。それをpersonalityというのかもしれない。だが、願わくば、自分自身を引っ張り上げて、自主的に研鑽を積む習慣は身につけていてほしいと思う。そのうえでの個性であれば大いに結構であるが、個性という言葉の裏で、後ずさりしたり、言いわけしたりするようにはなってほしくない。 さて、指導医たる自分である。偉そうなことを言ったり書いたりしてきたが、一所懸命に研修医のことを考えてきただろうか。彼らの相談に乗ったり、彼らと物を考えるたりするときに、手間を惜しだことはなかったか。彼らを一人ぼっちにしてはいなかったか。レジナビで大見得を切ったけれど、本当に天塩にかけて彼らを育てようとしていたか。ほかの指導医たちに、そういう働きかけがどれほど出来ただろうか。 昨今の成人教育の考え方によれば、教育とは人の人生において、生涯持続する好ましい変化をもたらすことだという。それには指導する側が叱ったり、その価値観を押し付けたりするのではなく、教わる側がやる気になり、自主的に考え、行動を変えてゆくように動機づけするのが大切だともいう。 しかるに人間は感情の動物であり、しかも生い立ちや経験、考え方も多様なので、ことは簡単ではない。A男を叱ったけど、あんなに言わなくてもよかった。B子に何度も同じ注意をしたけど、もっと別な言い方があったかもしれない。C太はあのとき自分に何か言おうとしていた、なぜ話を聞いてやらなかったのだろう。 心に手を当てれば、後悔がたくさんある。 だが、下を向いてばかりもいられない。 来年はまた六人の新人が当院の門を叩く。彼らが充実した毎日を送ることができるように、研修環境を整備し直す作業を始めたところである。手間がかかるが、やりがいのある楽しいことでもある。この年になれば、説教するよりも、彼らが研修しやすいようなインフラ整備をしてやることの方がはるかに役に立ち、喜ばれるだろう。 そして来年はもっともっと研修医と話をしよう。彼らは若く、みずみずしい感性を持っている。かつて自分も持っていたが、錆びついてしまったものである。彼らに刺激を受けながら、自分も成長してゆきたい。そう思えるようになったことが、今年の小生の何よりの成果である。
2012年11月26日
このところめっきり寒くなり、病院から見える山並みも雪化粧を始めた。そういえば小生が初期研修をしたA病院は標高の高いところにあり、冬は本当に寒かった。毎朝車のフロントガラスが凍って閉口したものである。 そのA病院の一年目の研修は、全科ローテートであった。外科三か月、脳外科、整形外科、小児科、産婦人科が一か月、いわゆるマイナー科が各二週間、残りは内科に充てていた。内科の内容は自由選択であった。現在のローテートに比べれば、明らかに忙しいスケジュールである。二週間程度の研修で何が身につくのか、という批判もあろう。 たしかに、このローテーションで新生児を取り上げられるようになったわけでも、骨折や硬膜外血腫の手術や、腸重積の整復ができるようになったわけでもない。しかし、フルオロッセン染色をして、細隙灯で角膜損傷を見ることができるようになった。鼻出血をバイポーラーで止血した。急性中耳炎の鼓膜をたくさん見た。イレウスの患者がいるとき、代謝性アシドーシスの兆候があれば、外科医が手術を急ぐことを知った。眼底鏡の灯りで患者の瞳を光らせながら目を近づけ、眼底を覗くことを覚えた。系統だった神経所見が苦もなくとれるようになった。発疹の記載のしかたがわかった。双合診で子宮の大小がわかるようになった。前立腺癌の硬さと前立腺肥大の固さの違いを体験した。簡単な縫合は数えきれないくらいやった。 全科ローテートが有意義であることは、言うまでもない。臨床医なら一つでも多くのことを知っていた方がよいし、一つでも多くのことが出来る方がよい。そのスタートは、経験することである。「一度も見たことがない」のと、「一度見たことがある」のとでは、歴然たる差がある。たった一度であっても、経験を通じて心の中のハードルが低くなり、その疾患の患者を診療するのが億劫でなくなる。経験が自分の背中を押してくれるのである。 初期研修の限られた期間で、全ての疾患を体験するのは当然不可能である。しかし、頻度の高い疾患については、かなりの部分をカバーできるに違いない。もちろん、一度や二度の経験で、その疾患の治療が出来るようにはなるまい(出来ると言ったら、専門医に失礼である)。だが、専門医以外の医者は、その病気を疑い、専門医に相談し、初期の安定化ができれば十分である。そこを目標にするなら、数少ない経験でも事足りるはずである。 A病院の全科ローテーションの経験は、小生にとってはかけがえのない財産である。これから臨床研修を始めるみなさんにも、ぜひそのような研修をしてほしいと思っている。幅広い経験がみなさんの医療者としての土壌を耕し、豊かにする。土地が肥えてこそ、専門の樹であれ、ジェネラルの樹であれ、伸び伸びと枝を伸ばすことができるのである。 ローテーション研修が成果を挙げるためには、超積極的に研修に取り組むことが大切である。指導医が声をかけてくるのをただ待っているだけでは、見学ばかりだったポリクリと変わらない。自分から指導医に声をかけ、「何でもやらせてください」という気迫を見せることである。「うるさい奴め、黙ってろ。」と思われるくらいでよい。やらせないとおとなしくならないことがわかれば、指導医は必ずチャンスをくれるものである(研修医が隣りでうるさいと、診療になりませんから(笑))。加えて、一所懸命な人間にはチャンスを与えたくなるのが人情というものである。 振り返れば、気の乗らない診療科の研修で居眠りしていた自分が恨めしい。同期生の中には、小生よりも明らかに積極的な仲間もいた。彼は今、内視鏡の世界では世界に名前が知られる存在になっている。後悔先に立たず、当時に戻りたくても、今となっては叶わない。ひたすらな毎日を積み重ねることこそが大切なのである。
2012年11月09日
先日臨床研修プログラム責任者の講習会に行ってきた。丸々二日間の濃密な研修だったが、実に有意義であった。新しいことを学ぶのは、いつも楽しいものである。 参加者は全国さまざまな施設のプログラム責任者なのだが、肩書きや診療科はいろいろで、施設の規模も多様であり、背景は人それぞれである。研究畑を歩いてきた人はリサーチに重きを置き、診療一本でやってきた人は現場が大切だという。皆自分の経験をスタンダードとして考えており、そのため目指す臨床研修の姿も微妙に違いがある。自分の通ってきた道、特に初期研修の頃に刷り込まれた価値観は、何年経っても変わらないのである。 そう気がついたら、小生も自分のキャリア、特に初期研修時代を白状しないわけにはいかないと思った。だから今回はその頃の自分について書こうと思う。読者諸氏には、こんな経歴のプロ責だから、こんなことを考えるだろう、こんな研修を目指すだろう、と想像しながら読んでいただければよい。 さて、小生が卒業した1985年当時、当然今の臨床研修制度はなく、卒後は母校の医局に入局するのが普通であった。ただ、小生の母校は新設で、関連病院が少ないこともあり、卒業生の半分は大学を離れて全国に散らばった。大学側から、「自分の受けた教育に自信を持って、大いに他流試合をしなさい。」と景気のいいことを言われて送りだされたのである。 卒業を迎えたとき、小生は今日言うところの総合診療(当時は「ジェネラル」といった)に興味があり、スーパーローテート(同様に「全科ローテート」といった)ができる研修を受けたかった。六年間医学部の授業を受けたが、特にこれをやりたいというものも見つからなかったし、医者ならば幅広くいろんなことが出来た方がいいと単純に信じていた。また、教授回診に象徴される大学の医療の雰囲気は、いわゆる「お医者さん」のイメージと違っていて、違和感を感じていた。 決定的だったのは臨床実習中の出来事である。某診療科で入院患者が出血性ショックになった。だが、居合わせた教官は血圧一つ測定できず、右往左往するだけだった。こんな医者にはなるまいと強く思ったのである。 母校は六年間のレジデント制など、当時としては新しい卒後研修システムを採用していたが、さすがに全科ローテートのカリキュラムはなかった。そこで国内を探したところ、片手で足りるほどの数ではあったが、全科ローテートが可能な市中病院があることがわかった。その中から、自分の出身地に近いA病院を研修先に選んだのである。 余談だが、その頃から臨床研修病院という制度はあって、大学以外でもやる気のある病院は自前で研修医を採用していたのである。これらの病院の長い間の努力が、今日の新臨床研修制度を推進する大きな力になっているように思う。実際今日もこれらの施設には多くの研修医が集まっているのである。 A病院には試験があり、定員の倍ほどの学生が集まって集団面接を受けた。カリスマ病院長の独演会で、我々は自分の名前と出身大学を言ったくらいである。何を試されたのかさっぱりわからなかったが(笑)、幸運にも採用され、A病院での研修が始まった。 今は臨床研修の分野では名だたるA病院であるが、当時は内科の専門分化がようやく始まったころで、ICUも黎明期であった。ただ、心臓外科以外の診療科はすべて揃っていた。 一年目は全科ローテーションをした。小生の最初のローテート先は外科で、三か月で全身麻酔を30件ほどかけて、挿管を覚えることができた。手術は当然鈎引きで、午後になっても前夜の酒が抜けず、居眠りをして怒られた。イソジンで肌が真赤にかぶれて、一人だけヒビスクラブで手洗いをした。 思い出話は筆が進みますね(笑)。次回に続きます。
2012年10月22日
昼食を終え、病院の窓から外を眺める。青空にすすきがきらきら光っている。深まる秋の日々である。 先日Y子と当直をした。救急車が7台、それもことごとく入院という激しい夜であった。Y子は翌日も元気だったが、五十路の小生はゲンナリである(泣)。中にPEA→心静止の症例があり、来院後間もなく心拍が再開した。ICUでY子と治療を続けることになった。 ACLSコースで学んだことを思い出して、Y子と確認をする。過換気にしない。酸素を過剰に投与しない。収縮期血圧を90mmHg以上に保つ。急性冠症候群の有無を確認する。低体温療法を考慮する。以前にも同様の症例の経験があり、Y子は理解できているようだ。 「酸素化の目標はどのくらい?」 「サチュレーションで94%です。」 「じゃあ、換気量の目安は。」 「エンドタイダルCO2で35-40mmHgだったと思います。」 そのとおり。気道内圧曲線を描いて説明しながら、呼吸器を設定する。冷却生理食塩水をボーラス投与し、ドパミンを使うが、血圧が低い。こまごまと比例計算をして、アドレナリンの組成と投与速度を決める。心電図や心エコーは問題ない。ブランケットを巻き、膀胱温を34℃まで下げる。 気管挿管、Aライン、CVライン挿入のすべての処置をY子にやってもらった。小生にああしろこうしろと言われながらも、何とかやりとげた。医師免許取得から半年、長足の進歩である。いいぞ、Y子。 だが、治療はこれからだ。血圧は?尿量は?不整脈は?血液ガスは?電解質は?血糖は?患者の状態は刻々と変わる。何度もベッドサイドに足を運んで、Y子は一喜一憂している。 問題が起こった。翌朝の検査で高度の低カリウム血症が認められた。血行動態はほぼ安定しており、不整脈は出ていない。Y子が相談に来る。緊急事態でないことは承知しているが、補正の方法で迷っているらしい。 「輸液にカリウムを加えたらいいと思うよ。CVラインからだし、教科書に書いている濃度より濃くても大丈夫だから。」 「うーん....でも....」 どうしたというのだろう。 「頭ではわかっているんですが、もしかしたらカリウム濃度が上がりすぎやしないかと心配なんです。今まで一日に10-20mEqくらいしか入れたことがないので....」 初めて経験すること、初めて指示することへの不安である。わからないではない。 昔のことを思い出す。医師になって数日後のこと、状態が不安定な患者さんの経過を診るために、病院に泊まった。 「看護師さんたちが○○について尋ねてきたら、××と答えればいいよ。」 指導医は小生に予測指示をあらかじめ教えてくれていたが、怖くて長い夜だった。明け方になって、深夜の看護師が訪ねてきた。 「例の患者さん、痛がっていますが、何か薬を使いますか?」 指導医の指示は、「鎮痛剤は何でもよい。」である。その何でもいいことが決められない。Y子と同じ悩みである。 誰でも最初はこうである。人は臆病で、経験のないことは躊躇するものだ。それが向う見ずな危機の回避に役立っているとも言える。 だが、したことがないことでも、やらなければならないときもある。命に関わる指示であれば尚更である。勇気を絞り出して、前に進まなければならないときもあるのだ。 指導医は研修医が誤りをおかすこと、そのリカバリーに責任を持たなければならないことを覚悟している。小生が泊まり込むことになったのは、そもそもCV挿入で合併症を起こしたからだった。すぐさま処置をして患者を助けてくれたのは、CV挿入を指示した指導医であった。今夜は泊れ、自分のしたことに責任を取れ、と教えてくれたのも彼である。 研修医諸君、勇気をだそう。指導医は見ている。荷が重い宿題を出すときは、君たちに殻をやぶってほしいときだ。信頼してついてゆけばよい。 その後Y子は通常よりもカリウム濃度が高い輸液を指示して、低カリウム血症は改善した。何よりだ。次の当直もよろしく。
2012年10月05日
台風が去り、急に朝晩肌寒くなってきた。これからしばらく、澄んだ青空が高い日々が続くだろう。芸術の秋、読書の秋、そして実りの秋である。研修医諸君の実り具合はどうだろう。食欲の秋ばかりではあるまいが。つれづれなるまま、今朝も階段を病棟に向かう。 さて、R子が心電図を手に、U子とW男に質問をしている。正常幅QRSの頻拍である。レートが速すぎて、規則的か不規則かわかりにくい。ACLSのアルゴリズムに則って、R子はATP静注を試してくれていた。そのときの波形を確認する。ATPで一過性の房室ブロックが起こり、隠れていたf波や絶対性不整脈が明らかになる。心房細動である。 この先の治療方針は、患者の全身状態や心機能で変わってくる。その辺を確かめて、W男はベラパミル(ワソラン)で心拍数コントロールをしたらどうかとR子に提案してくれた。要領よく、的確である。R子もU子も、途中からやってきたV太郎も、自分たちもW男と同じ三年目には、このくらいの対応ができるようにならねばと心に誓ったことだろう。屋根瓦方式では、かように先輩のふるまいは重要な意味を持つのである。頼むぜ、W男! さて、これで一件落着のはずだったが、しばらくしてU子のピッチが鳴る。R子からである。ベラパミルの投与方法についてらしい。本を見ると緩徐に静注と書いてあるが、指導医は持続点滴を指示したとのこと。R子は迷っている。どちらが正しいのだろう?誰に聞こうかしら?指導医の先生はゆっくりと言っているし、循環器の先生には「そんなことも知らんのか」と怒られそうだし....こんなとき、研修医の先輩は実に頼りになるのである(笑)。 さて、U子は「持続点滴にずっとついているのも大変だし、循環器の先生はいつも静注しているよ」と答えたようだ。 さて、みなさんはどう思いますか。 小生が思案するに、こう言っては身もふたもないかもしれないが、どちらも正しい。R子の悩みは本質から外れた問題である。 ベラパミルには房室伝導を抑制する作用に加えて、血管を拡張させて血圧を下げたり、心筋収縮力を低下させて心不全を招いたりする作用もある。房室伝導が過度に抑制されれば、徐脈が高度になって循環動態が悪化する可能性もある。 指導医は経験からそのことを知っている。患者の全身状態を把握して(この患者には心不全の既往があった)、ゆっくり投与した方が安全だという判断をしたに違いない。的確な臨床的判断である。 一方循環器内科医はどうか。この手の薬は使い慣れている。静注した場合の反応がある程度予測できるし、仮に状態が悪化してもリカバーする自信がある。だから静注する。これも正解である。 大切なこと(すなわち本質的なこと)は、ベラパミルという薬剤の効果をよく理解して、有害事象が起こる可能性を小さくしながら投与することなのである。そのための方策は一つではない。むしろたくさんある。患者の背景や自分の力量を考えて、一番適切だと思う手段を選べばよい。これが臨床である。経験が大切だという所以である。 いったい、研修医は本質から離れたことであーでもない、こーでもないという無駄な議論に終始しがちである。そう言ったらU子に叱られた。 「何が大切なことかわからないのが、研修医なんです!」 そのとおり。われわれ指導医も、君たちの信頼に足るだけの存在感を高めなければなるまい。最近の教育学によれば、教育とは、「生涯持続する好ましい行動の変化を人にもたらすこと」である。お互いまだまだである。ともに励みましょうね。
2012年09月25日
九月ももう半ばだというのに、まだまだ暑い。今年の夏は長いですね。とはいえ青空は高く、日暮れとともに涼風が流れ、虫の声が美しい。季節は流れているのです。 さて、一年目研修医のV太郎は、この九月から循環器内科ローテートの日々を送っている。まだ二週間しか経っていないが、AMIをはじめ、大動脈解離、拡張型心筋症、肺水腫など、てんこ盛りの症例を経験している。嬉しい悲鳴であろう。 そのV太郎に声をかけて、一緒に考える。 「さあ、この患者さんの問題点を挙げてみようか。」 「えーっと...呼吸困難でしょうかね?」 なかなか進まない。この辺の話は、前回のコラムに書いたとおりである。一年目の研修医としては、あたりまえのことである。 「何で呼吸困難だと思う?」 「サチュレーションが下がっていたし、息も荒かったです。」 悪くない。でももう少し経験して頭がこなれてくれば、頻呼吸とか起座呼吸とかいう言葉が出てくるようになるだろう。 「身体所見はどうだったっけ?」 「手足が冷たくて、心拍数が速かったです。」 「聴診は?」 「心音はよくわかりませんでした。Coarse crackleが聞こえたと思います。」 「Coarse crackleが聞こえたということは、この人の呼吸困難の原因は何だと思う?」 「心不全、でしょうか」 そう、その調子だ。もしwheezingが聞こえたなら、心不全だけではなく気管支喘息も考えないといけないだろう。もっと耳を澄ませて、小生には聞こえていたギャロップが聞こえるようになれば、迷わず左心不全、急性肺水腫と答えられるようになるだろう。 話しながら、前回のコラムで書いたように、カルテに記載を進める。評価や治療法を記載するためには、病態を理解する必要がある。 「心臓と血管を、一つの閉じた回路だと思えばいいんだよ。肺水腫ということは、この回路の中のボリュームは多い、少ない?」 「多いと思います。」 イエス。続いて問いかける。 「末梢が冷たいということは、回路は締まっている?開いている?」 「締まっていると思います。」 そうだ。その調子。 「ボリュームが多いんだったら、どうしたらいいと思う?」 そう、ボリュームを減らせばよい。だから利尿薬を使うのだ。回路が締まっているなら広げてあげればいい。それが血管拡張薬だ。 こんな話をしながら、問題点ごとに評価、プランを書き終えると、一時間半くらいすぐに過ぎてしまう。V太郎の頭にOSをインストールする、大切な時間である。V太郎の表情に満足そうな笑みが浮かんだのを、小生は見逃さなかったのだ(!)。 そのやりとりを、一年先輩のU子が隣りで聞いていた。 「あたしも去年はこんなんだったんですよねー。」 先輩の余裕である(笑)。もっともこんなツッコミにうろたえるV太郎ではない。むしろ喜んでいるだろう。U子の言葉は、後輩に対する暖かな激励でもあるのだから。 そんなU子もまた、当院研修医の一年先輩であるW男に追いつこうと一所懸命である。ひとつ階段を登ると、見えなかった目標が見えてくる。そこに登りたくて、また努力する。 そんな感じで、彼らの毎日が過ぎてゆく。当院風教育回診の一コマでした。
2012年08月29日
もう八月も終わりだというのに、残暑が厳しい日々である。皆さんは夏バテなどせずご活躍でしょうか。 小生はといえば、NARS-J 2012のあと(前回のコラムをご参照あれ)、いっそう身体所見やバイタルサインに注意を払うようになった。患者さんに異常所見(たとえばギャロップが聞こえるとか)があると、すかさず研修医に連絡して診察させるようにしている。今も救急外来に頸静脈が怒張して、脈拍に合わせて拍動する(すなわち右房圧の上昇と三尖弁閉鎖不全がある、ということですよ)患者さんが来たので、実質研修医長のT子のピッチに連絡したところである。「本当ですか!わかりました!」弾んだ声が返ってくるのが嬉しい。 加えて一念発起し、最新版のハリソン内科学を買い込んだ。研修医に見栄を張って英語版にしたので、これからきっと苦労するでしょう(笑)。ともあれ、学生さんや研修医とふれあいながら、指導医もまたactivateされるのである。「教えることは学ぶこと」ですから。 さて、前回休んだカルテの話の続きである。 データーベースができたら、そこから患者さんの問題点を列挙する。「胸痛」「呼吸困難」「コントロール不十分な糖尿病」「独居」・・・・といった具合である。それぞれの問題点ごとに、患者さんの主観的訴え(subject:S)、客観的な身体所見や検査所見(object:O)、自分の評価や解釈(assessment:A)、今後の計画(plan:P)ごとに記載をする。Planには今後の診断確定のプラン(diagnostic plan)、治療方針(therapeutic plan)、患者教育の計画(educational plan)がある。これを書き終て、初期評価と入院時計画が終了する。患者さんが入院したら、容態が変化しないうちに速やかにここまでをまとめなければならない。 ところが、これが難しい。情報の集め方やその解釈のしかた、何を問題点としてリストアップするかによって、まるで違ったものが出来上がってしまうのである。 背が高い、首が長い、黄色い、茶色の模様がある。こう書けば、キリンを連想することはさほど難しくないだろう。しかし、同じキリンの特性であっても、四足、尻尾、草食、面長と書いたのでは、キリンが馬や牛になってしまう。 データベースの中の、どの情報が鍵なのか。重要な情報がどのように関連を持って、患者さんの病状を形作っているのか。それを考えることを臨床推論と呼ぶのだと思う。臨床推論が病名にまで昇華すれば診断である。 問題リストや初期評価・計画を読めば、そのカルテを書いた医師がどんな臨床推論をしたかがわかる。病態の本質を見ぬく推論が出きれいれば、病状は改善する。もちろん、逆もある。この推論の力こそ、医者の力量のきわめて本質的な部分なのである。 よい推論をするには、病態生理についての知識が必要である。経験がきわめて大切であることは、言うまでもない。指導医から呼ばれたら、あるいは研修医仲間から異常所見のある患者さんの話を聞いたら、手間を惜しまずすぐに走ろう。走って診たことを教科書で確かめよう。勉強はそうやってするものだ。 もう一つ重要なことは、自分の担当の患者さんのカルテを、データベースから身体所見、問題リスト、初期評価・計画に至るまで、きちんと書く習慣を身に着けることである。正しい臨床推論をするには、考え方の道筋が必要である。君たちの頭の中に、臨床推論のためのOSをインストールしなければならないのである。近道はない。しかし王道はある。たくさん患者さんを診て、面倒くさがらずに、毎回きちんとカルテを書くことである。書くことは頭を耕すことであり、考えることそのものでもあるのだから。
2012年08月08日
このコラムも八回目。ときどき「読んでますよー。」と声をかけてもらえるようになった。ありがたい。反面、ネットの威力を思い知らされて、いささかドキリとする。肝心の感想はというと、身内は厳しく、院外の方々は総じて好意的だ。ともあれ、いろんな激励(?)を受けつつ、じょんのびの筆は進むのである。 それにしても、毎日暑いですねー。昼は殺人的日照りに打ちのめされ、夜は蒸し暑さに眠りを妨げられて、踏んだり蹴ったりである。もっとも、夏に弱い小生ならずとも、今年はオリンピック観戦で寝不足の輩が多いだろう。 オリンピックが真夏の祭典ならば、小生の周りでも真夏のイベントがあった。「NARS–J 2012」というのがそれである。今回はカルテの話題を離れ、そのレポートをしたいと思う。 小生の勤務する病院を含めて、上越市・糸魚川市内の四つの基幹型臨床研修病院で、「臨床研修上越糸魚川コンソーシアム」という連合体をつくり、さまざまな活動をしている(詳しくは、ホームページの臨床研修のページをご覧いただくか、病院までお問い合わせください)。NARS-Jはこのコンソーシアムが主宰する医学生と研修医のための体験型・参加型学習コースであり、Navigation for Residents and Students in Joetsu(どうってことないネーミングですみません)の略である。 今年はゲストに水戸協同病院の徳田安春先生、群星沖縄臨床研修センターから入江聰五郎先生、笹野幹雄先生をお招きすることができた。総合診療の分野でご高名な先生方である。諸先生のインストラクションのもとで、教育回診を行った。さらにコンソーシアム所属施設から指導医が集まり、消化管内視鏡、腹部エコー、ERでの循環器救急初期対応をテーマに、模擬診療(simulation laboratory)を行った。上越、糸魚川で研修する研修医と、新潟県内外からの医学生、さらに指導医たちも加わって、総勢20名強のコースであった。 教育回診といっても、ピンとこないかもしれない。そこでは、研修医が自分で担当した症例をプレゼンする。その資料を作成することからして、かけがえのない学習である。内容をチェックする指導医も、息が抜けない。一例一例丁寧に、主訴、病歴、review of system、身体所見を紡ぎ、問題リストにまとめあげる。 プレゼンを聞きながら、インストラクターの先生方は研修医や学生に質問を投げかける。その回答を考える作業を積み重ねながら、その症例の病態(病名を当てるのではなく、体の中でどのようなことが起きているのか)を見つけ出すのである。検査所見に頼らない、臨床推論と言ってもよい。この力を高めることこそ、初期臨床研修の大目標である。したがって、研修医にとっては、このうえない学習機会であると言うべきであろう。 はじめ彼らは質問にほとんど答えられない 「えーい、情けない」と言いたいところであるが、言えない。指導医たちだって答えられないのだから(たとえば悪寒と悪寒戦慄の違い、わかりますか)。 しかし、時間がたつにつれて、彼らの重い口が開き始める。去年一年生のときは「えーっと」としか言えなかったQ太郎もP子も、今年はぼそぼそと自分なりの答えを言う。半分くらいは的を得ている。いいぞ、っと思わず心の中で応援してしまう(このあたりはオリンピックのノリである。父親ですね、私は(笑))。彼らにつられて、今年初参加のR子も積極的に質問をする。すると隣で汗を拭いていたS男もボソっとしゃべりはじめる。もちろん、他の施設からの研修医も、学生も、活発に意見を交わしている。プレゼンのT嬢の口も滑らかになる。その調子だ、みんな。 二時間も経って回診が終わる頃には、彼らの表情が高揚感に包まれているのがわかる。彼らのスイッチをオンにしてくれたことを、インストラクターの先生方に感謝する。と同時に、質問の回答がわからずにいた自分、平素の研修で彼らに同じような動機づけができずにいる自分を振り返り、指導医たちはいささか複雑な心境になるのである。 ともあれ、今年のNARS-Jも、ネーミングはともかく、内容は非常に濃密なものであった。来年の夏はさらにバージョンアップさせて(ひょっとしたら春頃にも?)、また開催したいと思っておりますので、どうぞ、全国の学生諸君、上越にお越しください。オリンピックと同様に、参加すること、そしてそこでディスカッションし、体験することに意義があるのだ。お待ちしていますよ!! ちなみに、この夏のイベント以降、明らかに当院研修医たちの目つきが変わった。嬉しいことである。今もS男から「II音肺動脈成分が亢進しているので、右心不全です。診てください。」とのピッチが鳴った。思い切り空振りであったが、その意気やよし。小生も新しい教科書を買って、勉強し直そうかな。
2012年07月25日
さて、可愛い研修医たちのカルテを開いてみる。総じて頑張って書いている、と思う。病歴や検査所見がこと細かに書いてある。日々の progress note もきちんと綴られている。きっと時間をかけて、唸りながら書いたにちがいない。ジーンとくる。 何よりすばらしいのは、日本語で記載されていることである。カルテはそれを利用するすべての人にわかるように書かれていなければならない。ロンドンやニューヨークではないのだから、日本語で書くのが当たり前である。しかし、小生たち古い世代は英語で書く。もっと世代をさかのぼれば、ドイツ語で書く先輩方もいるかもしれない。そのように教育を受けたからである。 当時は、カルテは医者のものであるという考え方が支配的で、ほかの職種や患者さんにそれを見せるなんて考えもしない時代だったのだ。物事の価値観は刻々と変わる。しかし染みついた習慣は抜けず、人は変化に適応してゆけない。そんなわけで、小生のカルテは落第である(ちなみに、英語のカルテで唯一良い点は、記載するのに時間が節約されることである。日本語で同じスピードで書こうとすると、自分でもてんで読めない字になってしまう(笑))。 話をカルテの内容に戻そう。当然のことながら、改善してほしいこともある。 まず、身体所見をもっと詳細に書いてほしい。病歴や検査所見と同じように、あるいはそれ以上に、患者さんを診察した所見は重要なデータベースである。バイタルサインに始まり(呼吸数の確認を忘れないこと!)、頭の先から足の先まで系統的に、いわゆる review of system という視点にたって診察をしてほしい。どの病院のカルテにもそのような身体所見のフォーマットが用意されていると思うので、それを全部埋めるつもりで診察し、その結果を記載する。最後に重要な所見を整理してリストアップする。研修医のうちに、その習慣を身に着けてほしいのである。 以前勤めていた病院で、こんなことがあった。カルテの様式を全診療科で統一させるプロジェクトを進めているときのことである。当然のことながら、これまで述べたような理由で身体所見の用紙を入れる提案をした。しかし、某診療科の指導医から、「こんなものはいらない。○○科ではどうせ××しか診ないのだから、こんな紙を入れるだけ無駄だ。こんな紙が入っていると、書かないといけないことになってしまう。空欄になってしまうのもみっともない。迷惑だ。」 何をか言わんや、である。余談ながら、あまりにも専門分化が進みすぎると、こういう主張が正当化されてしまう。臨床医の目的は患者さんの多様な問題点を解決することにあり、問題点を抽出する刀が錆びついてはならない。総合診療が最近の学生や研修医のトレンドであるが、だとすれば、なおさらこの点が重要である。 さて、身体所見の用紙が埋まらないのはなぜでしょう。それは診察の仕方が未熟だからである。未熟、というには具体的に二つの要素がある。一つは診察の技術、アートの部分が不足しているために、所見を導き出せないという点である。もう一つは、系統的な診察の手順が身についていない、ということである。このことを書きだすと長くなるので別の機会に譲るが、自分なりの、落ちのない診察手順を習慣として(勝手に体が動くように)体に覚えこませることが大切である。根気よく繰り返す以外にこれを習得する方法はないが、根気よく続ければ必ず身につくものである。そんなわけで、system review の所見がきちんと書かれているかどうかを見れば、その研修医の診療に対する姿勢が一目でわかるのである(!)。 さて、病歴、身体所見、検査所見などのデータベースを集めたら、それらを整理して、診療の方針を立てなければならない。ここがカルテのキモであり、君たちの実力を発揮する場所である。と同時に、君たちの弱点でもある。この続きはまた次回、ということで。