2013年07月25日
研修医 1年目 石田聖朗先生 教育回診とは、Dr.Sanjayや指導医、研修医の前で、担当している患者さんの一症例を英語で発表・討論し、その後、患者さんを一緒に診察するといった、研修医を教育するためのイベントです。今回は自分がプレゼンターとなったわけですが、とても刺激的な経験となりました。今回が自分にとって初めての症例発表であり、かつ、それを英語で行えと言われ、最初はプレッシャーを感じていました。知識も浅く、日々の診療もまだ慣れておらず、患者さんを診察するのも一苦労といった状態で、もがいていた中、自分に御指名がかかったからなおの事です。しかし、篭島先生をはじめ、現在自分が研修中の呼吸器の先生方、他科の先生方、看護師さん、それから病院スタッフの方々にたくさん協力していただき、なんとか無事に発表を終える事が出来ました。 当日は、症例発表だけでなく、Dr.Sanjayによるレクチャーや、臨床問題クイズの研修医チーム対抗戦のようなレクリエーションなども行われました。Dr.Sanjayの人柄の良さもあり、2日間ともにとても盛り上がり、非常に有意義な、そして楽しい時間となりました。 ある先生から「研修医の時は、医師としての姿勢を決める大事な時期だ。今の姿勢が、将来の君の医師としての姿勢となる。」とよく言われます。そのような時期に、今回のような経験をさせて頂いて自分は幸運だなと思いました。今回の教育回診を終えて、ほっと安堵するのと同時に、自分の足りないものに気付かされ少し危機感も感じました。今後は今回の経験を生かして、日々精進していきたいと思います。 Dr.Sanjayをはじめ、今回のイベントに携わった皆様方、本当にありがとうございました。
2013年07月25日
じょんのび先生のもと、のびのびと育てられ早一年。たくさんの後輩ができた。今年から教える立場でもあり、気合をいれた春は瞬く間に過ぎ、所謂1学期が終わった。通知表のかわりに、少し心に残るエピソードを話そうと思う。 4月、1年目のA先生が鼡径から血ガスをとる機会がやってきた。 「動脈の拍動は分かる?」 「はい、分かります。」 「拍動が一番強く触れる所を狙ってね。」 A先生は、緊張した面持ちで頷く。 「少し痛いですよ。動かないでくださいね。」 患者さんに声をかけ、A先生は針を刺した。慎重に、慎重に、針を進めていき、途中で首をかしげた。 「(血管に)当たらない?」 「はい。」 「少し抜いて、向きを変えてみて。」 もう一度トライするも、当たらない。そのまま引き継ぎ、代わりに動脈血を採取した。やりながら、ふと、去年の自分もこんな風に2年目の先生に教えてもらったことを思い出した。手技が終わり、ベッドサイドから離れながら、コツを教える。 「本にはこう書いてありますよね?」 一年前の自分と同じ質問。本には載っていないがこんなやり方もあり、大腿動脈はこのやり方で外さなくなったこと。橈骨動脈の場合は中々できなくて、循環器の先生に聞いたら、全員が全員、やり方が違っていたこと。去年自分が習ったことを自分の拙い経験も踏まえて教えていく。 「やりながら、自分が確実に当てられる方法を見つけるといいよ。」 あとは彼次第だ。 数ヶ月後の7月、A先生と当直に入ったとき、再び血ガスをとる機会がやってきた。 今回の患者さんは若い女性で、羞恥心を考えると、足の付け根からより手首からの採取の方が望ましい。 「鼡径からはできるようになった?」 「はい。先生に習ったようにやったら、外さなくなりました。」 うれしい返事が返ってきた。 「じゃあ、橈骨動脈からやってみようか。」 「はい。」 少し時間はかかったが、確実に橈骨から動脈血を採取できた。一つ一つの機会をしっかりとものにしてきたのだろう。彼の成長を目の当たりにして、とてもうれしかった。1年目の先生たちの成長ぶりは目覚ましい。自分も頑張ろう。自分の通知表がどうだったかは、また別の期会で。
2013年07月01日
六月も末。今のところ当地は明らかな空梅雨で、文字通り水無月の風情である。前回予告のとおり、研修医自身の声を披露するコラム(さしずめ「子じょんのびの声」)をオープンすることになり、アップされるの首を長くしていたが、なかなか原稿が集まらないようだ。彼らも忙しいし、照れ屋ばかりときている。今しばしのご猶予をいただくとして、今日のところは小生の独り言にお付き合い下され。 来月には、何と二回にわたって外国人指導医の教育回診がある。八月には恒例のNARS-Jも開催される(これらイベントの詳しくは、病院ホームページ「トピックス」をご覧ください。医学生諸君も参加できます。ぜひぜひ、お誘いあわせの上多数ご来場ください!)。研修医にとっては忙しくもステップアップのための夏である。 それに先立ち、小生、先月から研修医向けの心電図レクチャーを始めた。週に一回、ホワイトボードに刺激伝導系の絵を書きながら、心電図の成り立ちを説明する。病的な心電図が刺激伝導系のどこに異常があって生じるのか、そのメカニズムを解説する。その結果としてどんな波形になるのか、とにかく理屈を十分に説明するように心がけている。 いったい、心電図が苦手な人が多すぎる。その原因は、心電図波形ばかりを見ているからである。心電図を読むには、刺激伝導系で何が起こっているかをまず理解することである。波形はその結果生じるものである。そこにはルールがある。それさえ押さえれば、氷が溶けるように心電図がわかるようになる(はず)。今年の一年生も心電図が得意だという強者は誰一人いないが、皆楽しそうにしてくれている。 「画像と心電図は超苦手です。」こう公言してはばからないK次郎も、ときどき眉間にしわを寄せつつも、頷きながら聞いている。ありがたや。心電図を学びたい学生さんは、ぜひ遊びに来てレクチャーの雰囲気をご覧あれ(当院で研修していただければ一番良いですが)。 今年はそのレクチャーにちょっとした仕掛けをした。小生が英語で喋ることにしたのである。何のことはない、外国人指導医の教育回診に向けて、度胸をつけるためである。 小生は外国で暮らしたこともないし、はっきりいってかなり怪しい英語しか話せない。超ブロークンを聞かされる方はたまったものではないだろう(笑)。が、以外な効果があった。日本語で喋っているときよりも、研修医の視線が熱を帯びている。きっと聞き漏らすまい、理解しようと一所懸命になってくれているのだ。そう、それそれ!そうやって患者さんの話も聞くのだよ。それから、小生も何とか理解してもらおうとテンションが上がる。言葉が不自由な分だけ、ジェスチャーが加わり、図をふんだんに描く。中には英語で答えようとする輩も出てくる。コミュニケーションの本質的な部分に触れた気がする。あっという間に二時間ほどが過ぎる。終われば皆ぐったりである。しかし笑顔が爽やかだ。 こんな感じでわれらが子じょんのびたちは日々成長している。レクチャーも心電図だけではなく、経験目標に挙げられている症候別に、週一回当番を決めてクルズスが行われている。指導医も参加するが、研修医が自分で調べ、仲間にプレゼンする。準備は大変に違いない。だが、その苦労が血となり肉となるのだ。 がんばれ、みんな! 少しずつ自信をつけて、胸を張って教育回診を受けよう。そして、楽しいNARS-Jを迎えよう。でもその前に、コラムの原稿を仕上げてちょうだいな(笑)。
2013年06月03日
風薫る五月、の筈であったが、今年はAMIや重症下肢虚血の患者が多く、小生も本業が忙しい。おかげでこのコラムも少し間が空いてしまった。すみません。 さて、昨日、本日の二日間にわたり、臨床研修上越・糸魚川コンソーシアム主催の教育回診が行われた。今回の講師は浦添総合病院の入江聰五郎先生。研修医のバイブルともいうべき、「バイタルサインからの臨床診断」の著者であられる。コンソーシアムを構成する研修病院から二十名ほどの研修医が集まり、昨日は糸魚川総合病院、本日は当院で、それぞれの研修医が自分の経験した症例をプレゼンテーションした。その内容に沿って、さまざまな切り口でディスカッションしながら、診断に向けての臨床推論をしてゆく、得難い機会である。 さて、当院の研修医たちには、どうように映ったのだろう? -診断に至る考え方の筋道が面白かった。でも、自分ひとりではまだその道を描けそうもない。 話題についていけない部分もあった。自分の知識が足りないことがわかりすぎて、へこんでしまった。でも、頑張らなくちゃと思えたのが収穫だった。 前回の教育回診のときと比べて、内容が理解できたり、議論の先が予想できたりしたところもあって、少しは自分も進歩しているのかなと思った。嬉しかった。 発言したいと思っていたが、参加者の数が多くて気おくれしてしまった。もう少し少人数でやれればもっとよかったかもしれない。 プレゼンテーションをしたが、自分は診断の正解を知っているので、みんながどんな意見を言うのか、どうやって診断にたどりつくのか、わくわくしながら話を聞いていた。プレゼンの準備は大変だったけれど、身体所見のところで「いい研修をしているね」とほめてもらえて良かった。楽しかった。 楽しみにしていたが、期待どおりだった。まだまだ考え方も知識も不十分なので、もっと勉強しなきゃと思った。頭がパンクしそうになりました。 難しかった。自分なりに一所懸命頭を使ったけれど、途中でフリーズしてしまうところもあった。もっと頑張らねば、と思いました。 発言や質問をしている仲間を見ると、すごいなーと思った。人によって力量に差はあるけれど、施設による差はないと思いました。 さもありなん。何もないところに道を作るために、こういう機会を設けてトレーニングをするのである。失望することはない。自分の課題が見つかったり、頑張らなくちゃと思えたりしたなら、それが収穫である。今回の印象が残っているうちに、わが病院でも定期的にプチ教育回診をしようではないか。入江先生の足元にも及ばないが、小生も司会進行役が務まるように、一緒に勉強したいと思う。 この種の催しを開催するには、縁の下の力持ちが欠かせない。陰に日向に無理難題を解決してくれる、いつもすてきな笑顔のお二人、石坂さんと佐藤さんに心から感謝したい。ありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。 さて、このコラムも一年が経過した。一部に熱心な読者もいるようで(?)、ありがたいことである。しかし、指導医目線の話題だけでは、学生さんや研修医諸君にはいささか食い足りないであろう。そのようなわけで、六月から、当院研修医たちにもコラムを書いてもらうことにした。さしずめ「子じょんのびたちの声」である。乞うご期待!
2013年05月08日
寒かったこの春だが、ゴールデンウィークを迎え、連日の好天である。青空を背に新緑の輝くさまは、生命の躍動感に溢れている。思わず窓を開けたくなる。 さて、ルーキーたちのその後である。研修を始めて一か月が経った。そろそろ病院や仕事にも慣れてくる頃である。そんな彼らの風景を点描してみよう。 ER から心電図モニターの同期音が聞こえる。ドアを開けると研修医たちが林立しているが、上級医や指導医の姿が見当たらない。患者もどこにいるのやら。 何てことはない。一年生たちの人垣に隠れてしまっているのである。救急の上級医もいささか小柄なのだが、今年のルーキーたちは男ばかりで、みんな背が高い。まるで竹やぶである。それでも一所懸命に採血をしたり、診察をしたり、カルテを書いたりしている。その手先はいかにも拙い。けれども、一所懸命さが伝わってくる。永遠のヤブにならないよう(笑)、こちらも心してかからねば。 たった一か月だけれど、印象的な症例がたくさんあったはずだ。カリウムが 2.0 mEq/L を切って失神してきた人。同じような値で、コントロールの難しい心不全で入院した人。薬物中毒で著しい縮瞳を呈して運ばれてきた人。そんな患者さんに接しながら、さっぱり何もわからない、何もできない、そんな自分であることを、ひしひしと感じたことだろう。 学生時代に話には聞いていたが、現場はこうなのか! 見ると聞くとは大違い、やってみるのはもっと大違い。どんな小さなことでも、自分の目で確かめ、自分の手でやってみなければ何も身につかないことを思い知ったに違いない。手間を惜しんではいけないのである。 そんな中で、受け持ち患者さんとの悲しい別れを体験したルーキーもいた。毎日一所懸命に考えて治療をするのに、病状は改善しない。それどころか次々に新しい問題が出てくる。日々回診をするのがつらかったかもしれない。 だが、君が悪かったわけではない。残念ながら、どんなに医療者が努力しても、どうにもならない患者さんもいるのである。だが、患者さんは命をかけて君たちの前にその姿をさらしている。結果はどうであれ、誠実に診療し、悩み、考えて、自分自身を耕してゆかなければならない。そしてあたかも種をまくように、患者さんに教わったことを、自分の心の深いところで育んでゆかなければならない。 そうやって、医療者は一人前になってゆく。患者さんの覚悟の上に、君たちは立っている。ゆめゆめわが身ひとりのための臨床研修だなどと思わないことだ。 ルーキーたちと小生のやりとりを見ていた当院初期研修医の OB から、「今年のじょんのび先生は研修医に優しすぎる。オカシイ。」と指摘された。別にそんなつもりはなかったが、小生も年をとったし、いつまでもがみがみ言いたくないとちょっと思った次第である。だが、現実はそれほど甘くないこともわかったので、先輩たちに接したがごとく、本来の鬼軍曹?ぶりを思い出さねばと思っている。 先は長い。これから 23 か月。毎日ドンパチしながら、ともに歩んでゆきましょう。それにしても、当直明けの朝は眠い。青空が眩しいぜ!
2013年04月17日
上越の桜は満開。開花後も雨模様の日が続き、寒々とした風情であったが、ここ数日の青空で、今や春爛漫である。 さて、ルーキーたちのことである。新年度を迎え、当院には新たに六人の研修医一年生がやってきた。紺のユニフォームに白衣姿も初々しく、立ち居振る舞いに希望があふれ出している。こちらまで嬉しくなってくる。残念なのは、男ばかりだということである(笑)。 鉄は熱いうちに打てというが、感受性豊かで熱意溢れるこの時期に、医師としての基本姿勢を教えなければならない。厚労省のホームページを見ると、初期研修の二年間に身に付けるべき行動目標として、次のようなことが挙げられている。 よい患者と医師の関係を築けること チーム医療を実践できること 問題解決能力を持つこと 安全管理に留意した診療をすること 症例呈示ができること 医療の社会性に配慮できること いずれも二年間を通じての課題であるし、医療現場の実際を知らないルーキーたちに、すぐにこれらが身に付くはずはない。しかし、なぜこれらを身につけることが大切なのかを、十分にわかってもらわなければならない。 これらはいずれも、将来専攻するキャリアにかかわらず、医療者として診療をしてゆくうえでの大前提である。医師として守らなければならない法律のようなものであろう。本来なら、わざわざ繰り返す必要などないことかもしれない。 しかしながら、おそらく今日の卒前医学教育では、この点に関する教育はきわめて不十分であるに違いない。なんとなれば、自分を含めて、指導医たちの中にこれらが身についている先輩がどれだけいることか。世間知らず。気難しい。協力してくれない。よく耳にする医者のありようについての批判が、何よりも現実を物語っている。 そのようなわけで、臨床研修は、まずこれらの話から始めなければならない。どこも似たり寄ったりだろうが、当院では最初の一週間を「フレッシュマンセミナー」と銘打って、これらを教える期間に充てている。安全管理部門、事務部門、看護部門などの責任者が指導を担当する。研修医は病院全体の宝であるから、病院を挙げて彼らを育てるのである。 プログラム責任者である小生には、研修の心構えについて話す役目が回ってきた。前述の到達目標をひとつひとつ、声に出して読みながら確認する。君たちはこれから先生と呼ばれる。そう呼ばれるにふさわしい自分自身でいるために、「先生ほどのバカはなし。」と揶揄されないために、これからも繰り返して声に出してみることだ。 そして、あるべき医師像の古典を音読してもらう。「ヒポクラテスの誓い」である。紀元前の昔から、洋の東西を問わず、医師に求められるものが本質的には変わっていないことに気がつく。 変わらないもの、変えてはならないものは、おそらく大切なことである。そして忘れてはならないことでもあるだろう。六人の健やかな成長を祈る春である。
2013年04月01日
プロ野球が開幕し、東京では桜が散り始めるとのこと。当地では梅が咲いたばかりであるが、春本番も間近であろう。 さて、年度末である。往く人との別れを惜しみつつ、新天地での活躍を心に祈る日々が続く。この春大学を卒業したみなさんは、国家試験を終え、四月からの研修開始にむけて、引っ越しなどの準備に忙しい毎日をお過ごしのことでしょう。 さて、わが研修医もまた、ある者は巣立ってゆき、ある者は二年生に進級する。彼らの机がきれいになったさまや、荷物をまとめて研修医室から上級医の部屋に引っ越す姿を見かける。指導医としては感無量、ジーンとくるものがある。 P子。二年間で本当によく成長した。知識やスキルはまだまだかもしれない。しかし向上心や負けん気は誰にも劣るまい。朝早くから夜遅くまで仕事や勉強に打ち込む姿は、感動的ですらあった。その姿勢がある限り、いくらでも成長してゆけるはずだ。 S男。叱られることばかりだったと思っているかもしれない。しかし、一番指導医に可愛がられていたのは君だ。その笑顔を患者さんの前でも惜しみなく見せることだ。そうすれば、相手が心を開いてくれる。その先に臨床医としての成功の道が開ける。 W男。おっとりしていて、本気になったところを見たことがない。あるいはそれは、器の大きさゆえかもしれない。一度自分を締めているタガを外して、とことんまで突き抜けてみるとよい。その先の景色を目に焼き付けておくことだ。 Y子。よく最後までがんばった。曇り空のような日々が続いたこともあったかもしれない。だが、今は晴れやかな気持ちでいるだろう。人生、捨てたものではない。いつも希望を持ち続けること。そうすれば、毎日が青空になるはずだ。 Q太郎。激動の一年間だったかもしれない。仲間に厳しく言われたこと、指導医に説教されたこと。しかしそれは誰にもあることだ。雑草は踏まれて強くなる。気付いていないかもしれないが、強い根が出来つつある気配がある。これからの一年間はジャンプの時間になるだろう。 R子。いろんな症例を見た。恐ろしい思いもたくさんしたことだろう。だが、怖がることはない。患者さんは命をかけて、君に教えてくれているのだ。どんなことでも、瞼を大きく開いてしっかり見ておこう。そうすれば、行動せずにはいられなくなるはずだ。 先輩たちが作り始めたこの病院の臨床研修の伝統を、より確かなものにしてくれたのは君たちだ。そのことに心から感謝している。そして君たちの姿を、後に続く仲間が見ている。途中から仲間になったS子も、そして四月からやってくる、六人の新人たちも。君たちの全力の毎日が、これからもきっと彼らのいいお手本になるに違いない。 僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る (高村光太郎「道程」より) 卒業おめでとう。 進級おめでとう。 そして、本当にありがとう。
2013年03月14日
三月の声を聞いたら、急に春めいてきた。今朝は当直明けである。温かい雨が黄砂を洗ってくれているようである。小生くらいの年輩になると当直は楽ではない。が、ふだんの専門分野の診療では経験できない病態に遭遇し、引き出しが増えるのはありがたく、楽しいものである。 さて、春休みで学生さんが見学に訪れる季節である。当院にもすでに数名が様子を見に来てくれた。ありがたいことである。というわけで、今回は病院見学にまつわる話をしてみたい。 研修医のアンケートを見ると、研修病院を決めた理由として、先輩や仲間の意見を参考にしたという意見が多い。おのれの進路を選択する切所(司馬遼太郎さんがよく使う言葉で、ここ一番の大事な場面の意味)にあたり、自分ひとりでは決められない心理が伺えて興味深い。 短時間の見学でどれほどのことがわかるかという意見はあるだろうが、意中の病院を自分自身で確かめておくことは大切である。初期臨床研修の目的や内容は厚労省の指針に従わざるを得ないので、どの病院も大差はない。とすれば、その病院の雰囲気(atmosphere)がしっくりくるか、指導医をはじめ、病院がどれだけ一所懸命に研修に向き合っているかが、二年間の成果を決めることになるだろう。 だからこそ、自分で見て、聞いて、自分で決めるべきである。合う合わないは人それぞれだし、恋人を選ぶのを人任せにする者はいない。自分で選ばないと、研修の途中で壁に当たったとき、「○○さんに勧められたから」とか、「自分は本当は△△病院に行きたかった」などと言いわけをしてしまう。これはNGである。 さて、せっかく見学に行っても、先方の言いなりに漫然と過ごしたのではもったいない。見学の成果を挙げるには、いくつかの準備というか、ヒントがある。 まず、自分がその病院の何を確かめようとしているのかを、事前にはっきりさせておくおくことである。「先輩研修医の様子を見たい」という声をよく聞くが、「研修医に指導医が頻繁に声をかけているか」「研修医が指導医やコメディカルに遠慮せず質問できているか」といった、より具体的な課題設定の方がよい。 次に、研修医に一日ついて動いて回ることである。みなさんにとって、彼らは明日のわが身であると同時に、その病院の研修風土を映しだす鏡である。先輩研修医が暇そうにしていたり、ため口をたたいていたりしているようなら、その病院に多くは期待できないだろう。 加えて、その病院の指導医の中からこれはと思う人を選び、一日くっついてみるとよい。その医師がプログラム責任者ならなお良いだろう。彼らの発言や行動の中に、その病院の臨床研修に対するポリシーが必ず滲み出るものである。研修を大切にしているなら、「今忙しいからあとで」などとは口が裂けても言うまい。みなさんに頻繁に声をかけ、質問に耳をかたむけ、真摯に答えてくれる病院の方が信用できるのは言うまでもない。 最後に、病院のスタッフがきびきびと動き、話し、笑顔でいるかを見てほしい。医療も教育も、結局は人がやるものであり、施設のネームバリューや規模、システムでその質が決まるものではない。活気のない病院では、それ相応の研修しか受けられないと思った方が良い。 もちろん、みなさんが積極的でなければならない。自分の人生なのだから、待っているだけでは駄目だ。「うるさい奴だな」と思われるぐらい図々しくてもよいのである。その病院で研修することになれば、その態度がスタッフとの間を取り持つ話題になるだろうし、その病院を選ばなくても、旅の恥はかき捨てである。損はないのである。
2013年02月25日
二月も末だというのに、この週末は今世紀最大級の寒波だという。上越も昨日から吹雪である。わが研修医たちは仲間の結婚式で大挙して南国へ出かけたが、戻ってきたら震えあがるにちがいない。かく言う小生、昨日の朝から日直やら回診やらで、病院にクギ付けである。 さて、試験の話の後篇は、国家試験である。今年の試験はもう終わったが(このコラムが間に合わなくてすみません)、なかなか難しかったとか。数ある試験の中の最難関は司法試験だと聞くが、医師国家試験もたやすいものではあるまい。おまけに司法試験よりは合格率が高いし、合格しないと医学部を出ても役にたたないし、プレッシャーがかかるものであることは間違いない。 小生は関東の大学を卒業したので、都内の某大学に用意された会場で国試を受けた。同級生全員で同じホテルに泊った(一年下の後輩たちが国試対策委員とかで手配をしてくれた)。部屋に入ると前日情報とかの怪文書(笑)が回ってきたが、じたばたしてもしょうがないし、部屋でビールを飲んで早々に寝たのを覚えている。試験はさほど難しいとは思わなかった。大学の卒業試験(国試と同じ形式の「総合試験」という関門が三回もあった!)の方が難しかった。当時の国試の方が今よりやさしかったのかもしれないし、卒試で痛めつけられるうちに(笑)、耐性ができていたのかもしれない。 試験が終わってから全員で新宿の飲み屋に繰り出した。当時は予備校の情報などはなく、主席で卒業した某君の回答を模範解答に、合否の見当をつけた。安堵と解放感で、皆心行くまで飲んで騒いだ。 今でもよく夢に見るのは、国家試験のことよりも、卒業してから国試までの間のことである。当時の国試は今よりも時期が遅く、卒業からしばらく間があった。学校に行く用事もないので、朝から国師の準備しかすることがない。思い切って遊びに行く度胸もない。これは辛かった。 医師国家試験の難しさは、頭に入れないといけない情報量の多さであろう。小生は丸暗記が苦手であり、英単語を覚えたりするのにも苦労が絶えなかった。だから国試の勉強も、暗記に頼ることはしなかった。真っ白いルーズリーフに、自由なレイアウトで、自分の好きなように、教科書の内容を整理したノートを作った。たくさんイラストも描いた(小生、実は鼻歌とイラストが好きなのである)。白いノートが自分の文字や絵で綺麗に埋まってゆくのが楽しくて、これが励みになった。それから、何があっても夜11時には勉強をやめて、一杯やりながら好きな本を読むことにした。嫌いな科目を学習しているときは、これだけを楽しみに乗り切ったものである(笑)。 勉強の仕方は人それぞれであろう。今になって振り返れば、苦労しながら自分なりのノートを作る過程で、病態を考える習慣が身についたように思う。病態が理解できれば、おのずから症状や検査所見、治療内容もわかるというものである。面倒がらずにコツコツやっていれば、原理原則めいたことが見えてくるのである。 今の教科書は随分ビジュアルになった。しかし、医者に求められるものは変わらない。どんなに情報量が増えても、それに対応できるような基本的なものの考え方ができなければならない。そういう意味では、丸暗記はお勧めできない。学問に王道はないのである。
2013年02月04日
ついこの間初詣に出かけたのに、もう2月である。6年生の皆さんは、目前に迫った国家試験の準備に忙しいことだろう。というわけで、今日は試験をめぐる思い出話をしたい。 まずは大学入試の話から。実は小生、センター試験元年の世代である(当時は共通一次試験と呼ばれた)。その是非はともかく、辛かったのは全国公立大学の試験日が同じ日に揃えられたこと、つまり国公立大学の受験機会が1回になったことである。共通一次前は一期校・二期校に分かれていたし、現在は前期・後期というシステムがあり、一度失敗しても二度目のチャンスがある。が、小生たちにはたった1回のチャンスしかなかったのである。 ヤケになったわけではないが、物理や微積分に不安があった小生は、二次試験が小論文と面接だけの大学を選んだ。組し易しと思ったのだが、大変な思い違いであった。学科試験がないのに、3日間の日程なのである。 初日の小論文は回答時間が5時間であった。サイエンス日本語版(今は廃刊かな?)の論文を配られて、その内容についていくつかの質問に答えるという形式であった。たしか成層圏オゾンについての論文で、読み終わるのに2時間ほどかかったが、何のことやらさっぱりわからない。だってそれまで習ったことも考えたこともないテーマでしたから(笑)。 質問の内容も、「○○ページのどこそこに××と述べられているが、これは●●ページの内容と一見矛盾する。だがそうではない。なぜか。」みたいなものだった。 この試験に必要だったのは、受験勉強で教わった知識ではない。未知の課題に対して知識や経験、思考力を総動員して自分なりの解決法を導き、それを論理的に説明する力である。要するに受験勉強だけではだめで、総合的な学力がないとどうにもならないのである。 答案ごとに多数の教官が採点したこと、チェックポイントが多数あり、それぞれに点数をつけて、最終的には百点満点で85点とか73点とか、細かな採点をしたことを入学後に聞いた。合否判定の際には、共通一次試験よりも、この小論文の成績を重視したという。医師に一番必要な力は「問題解決能力」であり、それを評価するにはこの方法が一番良いというのがその理由であった。 2日目は集団面接で、受験生は5人づつ面接室に招かれた。教授が3人ほど待っていた。 「これから諸君にテーマを提示します。そのことについて30分間、自由に討論してください。我々は一切喋りません。ではどうぞ。」 「理想の医師像」というテーマであった。沈黙が流れる。ほどなくいたたまれずに口火を切る受験生がいて、たどたどしいディスカッションが始まる。自分も2回ほど発言したが、内容は覚えていない。汗をびっしょりかいていると、瞬く間に時が過ぎる。 「はい。そこまで。」 受験生を評価するうえでやはり多数のチェック項目があり、それぞれに点数をつけたこと、教官が3人いても、驚くほど評価の結果が似たものになることを、入学後に聞いた。 「医療者としてどの道に進むにせよ、皆さんはチームの中の一人として活動してゆくのです。チームの中でどのように自分の居場所を見つけ、チームの結論のためにどのように振る舞ってゆくか。それを見たかったのです。」 3日目は普通の個人面接であった。 卒業して病院で仕事をするようになり、なぜこんな試験を受けさせられたのかがよくわかる。医療には絶対的な回答も正義もない。模範解答すら見いだせない分野もある。そんな中で、医師は医療チームのリーダとして、仲間と協力しながら、一所懸命に考え、解決のための道を拓いてゆかなければならない。それができなければ、患者が不幸になり、診療チームは空中分解してしまう。 そんな医師に求められるものは多岐にわたるが、一言で片づけるなら、バランスのとれた総合的な学力ということになろうか。それは受験勉強ごときで身につくものではない。様々な分野の本を読み、いろんな話を聞き、豊かな経験をし、思索する習慣の中から醸成されてくるものである。医者になるということは、そういう毎日の中に飛び込むことにほかならない。 そのためには国家試験に合格しなければならない。その話は次回ということで。