2015年09月02日
暑かった夏が過ぎ、例年より早い秋雨前線で、朝晩は肌寒いくらいです。五十路も半ばの小生は、猛暑の疲れでいささか閉口気味ですが、若い皆さんは元気一杯の毎日でしょう。 さて、夏休みの間、病院見学や面接で、たくさんの学生さんと会えました。あたりまえのことですが、それぞれに個性があります。同じことを問いかけても、受け取り方やそのときに生じる感情、解決のための方法など、一人一人まったく違っています。 流行りの言葉を使うなら、コンテクストの違いと言うのかもしれません。コンテクストとは「背景」とか「文脈」などど訳されることが多いのですが、それまでの経験や育ってきた環境、周りにいた人たちなどの影響を受けて身に付いた、考え方や感じ方の癖、文化のようなものをまとめて指す意味で使われていると思います。 このことは、臨床研修に大きく影響します。コンテクストの差は、研修の前提が人によって違うということを意味します。それなのに、臨床研修の到達目標は、すべての研修医にとってただ一つ、同じものなのです。 もちろん多少のバリエーションは許容されますが、大筋ではこの省令の趣旨に沿った考え方や行動をする医師になるように、二年という限られた時間の中で皆さんに変わってもらわなければならない。それが臨床研修です。それを促すために、指導医もまた人を教育する考え方やスキルを身に付けなさい、そういうふうに自分を変えて下さい、と求められます。それが臨床研修なのです。 でも、それってはっきり言って難しい。早い話、指導医が望ましい形に自己変容に成功していれば、「手本にしたい指導医は滅多にいない」などと皆さんが言うはずがありません。そういう皆さんも、大学の教官や先輩、友人たちに「こうやって勉強すればいいよ」と指摘を受けたとき、「いや、あたしにはこのやり方が一番いいんだ!」と自分のスタイルにこだわって、結局は助言を受け入れなかった思い出があるでしょう。直球を痛打されると、もっと早いボールを投げようとしてむきになってしまう。変化球を投げろというコーチの言葉も上の空、ますます痛打される。それが人間というものです。 病院でも、研修医がそういう気持ちになる瞬間をよく見かけます。顔から耳にかけて朱に染まり、ぶっきらぼうな言葉づかいをして、しまいに無口になるのですぐにわかります。指導医との間に気まずい空気が流れます。 自分の変わらぬ信念や目標を持ち続けることは大切なことです。でも、そのためにいつも同じで考え方でいる必要はないと思います。目指す頂上は変わらなくても、登頂に至る道はいろいろあってもよいのです。ただ一つの道にこだわると、かえって手間がかかったり、アクシデントが起きたりします。行き過ぎた頑固さは、成功の妨げになるのです。回り道に見えても結局は近道だったりすることが世の中にはよくあります。 教育とは人の行動を変えることだ、という言葉があります。行動を変えるには、考え方が変わらなければなりません。研修を受ける皆さんも、指導医という立場の小生たちも、柔軟に新しい考え方を受け入れることができる、そんな自分でいたいものです。 新しい考え方とは、それまでの自分にはなじみのない思考です。洋服に慣れているところへ和服を着るようなものです。最初はつらいです。でも、それに慣れれば、キュートで現代っ子だと思っていた自分が大和撫子だったことに気が付くのです。 変化を受け入れる、しなやかな心。縁があって当院で一緒に研修する仲間には、それこそを手にしてほしいと思っています。もちろん小生自身も。ではまた、次回。
2015年08月11日
初めまして。昨年度まで小じょんのびだった、中じょんのび(専攻医)です。現在は家庭医療後期研修医として当院で臨床に携わっています。 6月13日、14日と茨城県つくば市にて日本プライマリー・ケア連合学会学術大会が行われました。当院からは一般演題の発表はありませんでしたが、学術大会へ初参加しその雰囲気を十分に味わってきました。 学術大会では医師だけではなく、コメディカル、学生の参加者も多く、各会場では活発な議論が繰り広げられており、如何に総合診療医が注目されているかを再認識しました。 後期研修プログラム紹介のブースでは各病院からポスターが展示されており、当院からも参加させていただきました。当日、ポスター展示されていた病院の数はおよそ100。新潟県内では真新しいことをやっているように見えて、全国的には全く珍しくはない状況にあることがはっきりとわかりました。学術大会会長挨拶にて、前野哲博大会長は「2025年(団塊の世代が後期高齢者を迎える時期にあり、医療に対する人材・費用が急激に増加する時期)に総合診療医として最前線で戦える世代はもう大学に入学している。つまり10年後はそう遠くはない未来だ」とのお言葉がありました。新潟県内でも私たちと同じ志しを持ち、高齢者が抱える多岐にわたる問題に寄り添える医師が早急に増えることを祈るばかりです。
2015年08月11日
8月1-3日、熱海市湯河原にて日本プライマリー・ケア連合学会 学生・研修医部会主催による学生・研修医のための家庭医療学 夏季セミナー(以下 「夏季セミナー」と略称)が行われました。当院を代表し私、中じょんのび(I専攻医)が2日に開催されたポスターセッションに参加してきました。 ポスターセッションでは学生や初期研修医が自由に各病院のブースを回ることができ、興味のある病院のスタッフの話を熱心に聞く姿が見られました。多くの学生・初期研修医が当院のブースを素通りし有名病院のブースに向かう中、当院のポスターの前に足を止め、私たちの話を聞いてくれる学生さんが少なからずいてくれたことに感謝です。 年々夏季セミナーへの参加者が増加していることからも分かる通り、家庭医療に対する医療者の意識が高くなってきていることは間違いありません。当院の後期研修プログラムは今年立ち上がったばかりであり、当院の知名度ももちろんありません。今回のようなイベントに今後も積極的に参加し、私たちも家庭医療に対する理解を深め、そして多くの方が当院に対し興味を示してくれればと思います。
2015年07月30日
梅雨も明けて、上越の暑さに驚いているこじょんのび34号です。 7月19日、朝早くの北陸新幹線に乗ってレジナビに参加してきました。新幹線、便利です。 私自身、3年前に学生としてしたときに声をかけられてなんとなく話を聞いた病院が上越総合病院でした。 話を聞く前は正直なところ当院のことは知らなかったのですが、話を聞いてせっかくなので見学をしてみようと思って見学をし、面白かったので雰囲気をもう少し味わいたいと思い大学の学外実習もし、面接を受け、無事にマッチングして、国家試験に合格して現在に至ります。なんだか不思議だなあと自分でも思いますが、こういうきっかけもあるんです。 研修医の生の声、伝えられたところもあれば伝えられなかったこともあるので興味を持っていただけたなら是非見学に来てくださいね。 ブースに来ていただいた学生さん、どうもありがとうございました!
2015年07月28日
6月に行われた日本内科学会信越地方会において発表した内容が若手奨励賞に選出されました。 当院消化器内科の先生方をはじめ、沢山の方々のご指導のお陰で受賞することができました。 この場をお借りして心より御礼申し上げます。 一日も早く地域の皆様のお役に立てる消化器内科医になれるよう、日々精進いたします。 今後とも変わらぬご厚誼とご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。 研修医2年目 野尻
2015年07月22日
指導医として、研修医諸君の書いた文章をチェックする機会が多い。カルテの記載、レポート、学会発表のスライドや原稿、教育回診の資料など。何も見ない日はないと言ってもよい。チェックというと上から目線で印象が悪いけれど、なるほどと考えさせられる内容もあり、小生たちにとっても勉強の場である。その意味では、君たちに感謝しなければならない。 そんな中で、気になることがある。語りことばと書きことばの区別がきちんとできていないことである。別の言い方をすれば、記録に残したり、公文書として残したり、公の場で聞いてもらったりする文章には、友達と会話をするときの表現を持ち込んではいけないということである。 具体的に小生が違和感を感じるのは、助詞、いわゆる「てにおは」が抜けることと、業界一般に通用しない業界略語が使われがちな点である。 「てにおは」が抜けるというのは、たとえば次のような場合である。 「○月○日当院受診した。」 これは正しくは、 「○月○日に、当院を受診した。」 もしくは、 「○月○日、当院を受診した。」 であろうと思う。類似の表現はあちこちで見受けられる。 「患者胸痛自覚したため….」 ここはやはり、 「患者が胸痛を自覚したため….」 であろう。「腹痛消失し….」ではなく、「腹痛が消失し….」である。 業界全体では一般的でない略語が用いられる例として、たとえば「胸苦」「呼吸苦」などがある。それぞれ「胸内苦悶(あるいは胸苦しさ)」「呼吸困難」と言うべきであろう。ちなみに、ナースの使う略語に「食介」というのがある。わかりますか?「食事介助」の略である。通勤快速を通快と略すようなウィットが感じられる。思うに、略語のセンスは医者よりもナースの方に一日の長がある。頭が柔らかいということであろう。 話し言葉で習慣になっている表現といえども、そのまま公けの文章に書いてしまうのはNGである。言語は時代とともに変わってゆくものであるから、固いことを言うつもりはない。ただ、文体は人を表すとも言う。その時代の標準的なスタイルを逸脱すると、読んだり聞いたりする方には違和感があるし、肝心の文章の内容や発表者の能力まで過小評価される懸念もある。 現在の医学界では、カルテや学会発表、サマリーなどに、助詞なし文章やローカル略語を許容する文化はまだ醸成されていない。ここは我慢である。トレーニングの一環と考えて、きちんとした文章を書くことを心がけてはどうだろう。そんな小さな積み重ねが、しばしば大きな飛躍につながる道だったりするのだから。
2015年07月16日
学生時代に受けた Sanjay 先生のケースカンファレンスは、診断に至るプロセスには一つ一つの所見を積み上げていくことが大事だと実感できる、推理小説を読んでいるかのような高揚感を感じるものでした。今回の教育回診も Sanjay 先生の思考過程が見えるように進めてくださり、先生の著作である米国で人気の Saint-Frances Guide のエッセンスが詰め込まれていたのではないかと思います。 お話し好きでフランクにいろんな話をしてくださり、研修医生活だけでなく私生活に対するアドバイスもいただきました!いい意味で高名な先生であることを感じさせない、思いやりにあふれた先生でした。 来年もお会いできるのが楽しみです。 こじょんのび1年次より
2015年07月07日
初めまして。上越総合病院1年目研修医の鈴木拓次と申します。 先日、6月27~28日にかけて上越・糸魚川コンソーシアム主催のゴータム・デシュパンデ先生の教育回診がありました。ゴータム先生は米国大使館で医師として勤務されている方です。 1日目は糸魚川総合病院で症例検討とゴータム先生の神経学的診察法のレクチャー、2日目は上越総合病院で症例検討を行いました。自分は英語に馴染みがなく、始まるまで不安や緊張もありましたが、ゴータム先生の気さくな人柄や、時折日本語を交えたジェスチャーもあり、楽しみながらレクチャーを受けることが出来ました。神経学的診察法では限られた時間を意識しながら全身の所見を取っていく手法を、実践を通して学びました。2日目の症例検討ではプレゼンターを担当させていただき、不慣れであり失敗もありましたが、それだけに普段の英語学習の重要性をよりはっきりと認識できたように思います。 2日間にわたって、大変貴重な経験を積ませていただきました。これからの病院での仕事に活かしていきたいです。ゴータム先生、およびプレゼン発表にあたりアドバイスをくださった篭島先生、総合診療科の先生方、本当にありがとうございました。
2015年06月26日
お久しぶりです、こじょんのび7号です! 先日、医療に興味を持っている地元の高校生の方達が、文化祭の振替休日を使って上越総合病院に職場見学にいらっしゃいました! 皆さんそれぞれ指導医の先生に従って各診療科での外来見学などされ、昼食会を挟んで午後は研修医とのグループワークと盛りだくさんのスケジュールでしたが、どの方もとても真剣に参加していらしてました。その一生懸命な眼差しに、若いって良いな高校生は素敵だな、と私達の方こそとっても良い刺激を受けて、まだまだお手本には程遠いけれど、いつか医療の現場で再会を果たすことができたらその時は良い先輩になっていよう!と改めてモチベーションが高まりました。 部活に勉強に、習い事や恋愛に……今時の高校生はきっと毎日色々なことで忙しくされてると思うんです。そんな中で、医師という職業や地域の医療に興味を持って今回の体験学習に参加してくれたのがこじょんのびはとても嬉しかったです。 終わってから振り返ると、高校時代って勉強以外にもっともっと、今だからできる、今しかできない、みたいなことが沢山あった気がします。失敗を恐れずに意欲をもって、色々なチャレンジで高校生活を充実させてほしい、と老婆心ながら思います。 医療人は人に対する愛と勇気と情熱で出来てるからさ……と勝手に主張しているこじょんのびなのでした。 それにしてもやっぱり、高校生ってフレッシュで羨ましいな~。皆すっごくきらきらしてました、まる。
2015年06月09日
こんにちはー!新大出身、1年目こじょんのびの若竹です。先日、糸魚川で行われたCPVS(Clinical Physiiology of Vital Signs)に参加してまいりました。 入江聰五郎先生とインストラクターの皆様にはるばるお越しいただき、糸魚川総合の研修医と指導医に混じって、当院より1年目2名が受講してきました。 医師免許を手にしてまだ2か月の私たちはかなり緊張ぎみで糸魚川まで初めての出張をしてきましたが、入江先生の気さくな人柄とこじょんのびOBのインストラクターの先生方もいらしたおかげで、とても充実した2日間を過ごすことができました! 技術も経験もまだない私たちが救外で戦っていくために持てる武器は限られていますが、2日間で35症例(!)をシミュレーションし、今まで深く考えずにながめていた6つの数字に命が吹き込まれ、新しい鮮やかな視界に目の覚めるような思いです。 研修はまだ始まったばかりですが、すでに数えきれないほどの鮮烈な、日々の記憶でいっぱいです。見るもの聞くことのすべてを糧として、一歩ずつ前へと進んでいきたいです。