2014年09月19日
先日上越コンソーシアム主催の教育回診が糸魚川の焼山温泉で開催されました。講師にはゴータム先生を迎え、上越総合、県立中央、糸魚川総合から各1人がプレゼンターをつとめました。 教育回診は、一つの症例について2時間ほどかけて話し合うというものです。実際に臨床で判断に迷った症例や、参加者にとって有益と思われる症例について、一定のアプローチの下で症例を疑似体験し、診断に至ろうとする試みです。 今回も臨床的に非常に重要な病態・疾患がテーマとして挙げられていました。現場で遭遇する率はそれほど高くはないかもしれませんが、どこかで必ず出会い、正確な判断、診断、治療が患者さんの予後に影響する疾患が揃っていました。頻度の高くない疾患は教育回診のような機会で経験を共有することは非常に意味のあることで、今回の経験もいつか必ず役に立つと思っています。 日頃は各々の患者に20人、30人の医師が2時間かけて話し合うということはなかなかありませんし、診断の確定している症例については尚更です。ゴータム先生の様に素晴らしい講師の下で、時間をかけて患者さんの病態について理解を深める機会を得られていることは非常に贅沢なことだと思います。 日常の仕事の中でも、深く深く考えられるように日々精進したいと思います。
2014年09月17日
九月になり、なんだか急に涼しくなった。朝晩と日中の寒暖差が大きく、今年は紅葉がきれいだとか。とはいえ、めまぐるしい気候の変わりように、初老期の体はついてゆくのがいささか大変である。 夏の終わりに、今年もNARS-J(Navigation for Residents and Students in Joetsu)が開催された。上越・糸魚川地域の研修医諸君に加えて、医学生有志も参加してのトレーニングコースである。スキルラボラトリーの手技体験(今年のテーマはCVライン挿入であった)や、教育回診での臨床推論をコンテンツとしており、温泉に宿泊して合宿形式で行われる。ことしは焼山温泉で開催された。 教育回診はわれらが研修医たちにとってはもはや慣れたものであるはずだが、今回はいささかもの静かであった。症例興味深いものだったし、プレゼンも十分練れられていたにもかかわらず、である。 小生が思うに、おそらく講師が外国人であることが原因ではあるまいか。つまり、英語で話すことへの抵抗である。困ったときには日本語を指導医が英訳してくれるので、ブロークンでも何ら問題はないのだが、ヒアリングに自信がなかったり、間違えたら恥ずかしいと思ったりで、発言を躊躇してしまうのだろう。普段英語になじみが薄いので、このような壁を破ることができないのである。 実際のところ、研修医と話していると、彼らが英語の医学用語を知らないという印象は否定できない。小生たちの時代は教科書に必ず英語も併記されていたし(「狭心症」の隣りに「angina pectoris」といった具合)、授業中にもポンポン英語が出るわ、解剖の口頭試問は日英羅全部暗記せよと言われるわで、technical termとしての英語を覚えないことには話にならなかった。だが、最近はそんなことはないらしい。 日本人だから日本語で勉強すればよい。それはそのとおりである。しかしながら、小生はやはり英語も勉強してほしいと思う。その理由はたとえば以下のようなことである。 臨床研修が始まったとたん、指導医たちとコミュニケーションをとらなければならない。彼らは英語のtechnical termを話す。それを理解できなければならないはずだ。 ベッドサイドで病状や治療方針を議論するような場合、患者さんに余計な心配をかけないに、英語の方が都合がよい場合がある。もちろん患者さんには真実が伝えられるべきだが、大方針が共有できていれば、細かなことすべてを語る必要もあるまい。 このあたりについては、君たちが活躍する時代になれば今後変わってゆくかもしれない。だが、以下に述べることはきっと変わらない。 医療は人文科学的な面も有するが、科学としての医学は論理性を重視する。日本語と英語の文法を比較すると、英語の方がより論理的であろう。日本語の教科書には曖昧な表現が散見され、話題が行ったり来たりするきらいがある。一方英語の教科書は定義に始まり、そこから演繹されて病態生理、さらに症候や検査所見、治療内容に至るまで、論理的一貫性をもって記載されている。当然わかりやすいし、自然に論理的な思考が身につく。 今日最新の医学論文は英語で発表される。学会も規模が大きくなるほど、公用語は英語である(日本の学会であっても、だ)。英語で学習していないと、これらが理解できない。翻本を待っている間に、時代に取り残されてしまう。翻訳は原文のニュアンスを正確に伝えられない。原文を読むに越したことはない。 これらの事実をふまえて、諸外国の医学教育は英語で行われている。ひとり日本を除いて。国際化の時代である。今からでも遅くはない。まずは英語を読むことから始めてみませんか。少なくとも、高校時代の貯金を頼りに青息吐息の小生よりは、君たちの方がはるかに上達が早いと思いますよ。
2014年08月25日
猛暑の七月、台風と豪雨の八月。おかしな夏の天気も恒例になりつつある気がします。小生のような年輩にとっては、気候の変化は正直言ってこたえます。そんなわけで前回のコラムからまたまた時間が空いてしまいました。申しわけありません。 さて、このひと月半ほどの間に、我らがこじょんのびたちにも一大イベントがありました。「闘魂外来」です。 ご存じかもしれませんが、闘魂外来はドクターGで有名な徳田安春先生のご発案によるもので、医学生、研修医、指導医がチームを組んで、ERを受診する患者さんを診察する実践的医学教育の場です。今回は臨床研修上越糸魚川コンソーシアムの主催で当院を会場に開催されました。全国から多くの医学生が集まり、上越糸魚川地域の研修医とともに、初めて出会う患者さんの診療をしました。 指導医側として、徳田先生以下、闘魂外来のコンセプトを共有する指導医(総合診療科)の先生方が全国から集まってくれました。加えてミシガン大学のSanjey Saint先生(New England Journal of Medicineのeditorを務めておられます)にもお越しいただき、国際色・地域色豊かなイベントとなりました。 ありふれた疾患であっても、学生さんたちにとってはすべてが初めての体験です(わが国の大学医学教育は、見学が中心ですから)。震える指先、流れ出す汗、そして熱いまなざしに、彼らの緊張や情熱が凝縮されているように見えました。 思えば小生も医学部六年生のとき、実習先の市中病院で薬剤静注を任され、コントロールできないほど声も手も震えたものです。部屋を後にするとき、聞こえてくる患者さんたちの避難の声に、涙が出てきたものでした。 そんなことを思い出すと、学生さんたちを応援したくなります。いつの間にかわがこじょんのびたちも、学生さんにアドバイスを送っています。彼らにとっても他人事ではなかったのでしょう。共感とともに思わず指導したくなる気持ち。これぞ実践智を伝えてゆくことの本質であり、理想的な屋根瓦方式というべきでしょうか。こじょんのびたちの成長を頼もしく思ったことでした。 闘魂外来のあとは、場所を妙高の温泉に移して懇親会、続いて世の更けるまで症例検討会を行いました。翌日は妙高山のふところに抱かれて、Saint先生の教育回診を受けました。最後に記念写真を撮影し、熱く、忘れられない一泊二日のイベントが終わりました。 実は、闘魂外来は当院には敷居が高いと思っていました。しかしながら、参加してくれた皆さん、準備に奔走してくれたスタッフの方々、全員の熱意に後押しされて、大成功で終了することができました。小生もいつの間にか年をとり、チャレンジ精神を忘れていたことようです。自分の足元を見直す貴重な機会でした。心から感謝、感謝です。 それにしても、Saint先生や総合診療の先生方と話をして感じるのは、その鑑別診断の豊富さです。どうしたらその力を身につけることができるのか。今回参加してくれた学生さんの中にも、すでに研修医を凌ぐような生きた知識を有している方もいます。それは個人的な資質の差なのか、教育の仕方の差なのか。プログラム責任者としては、後者だと思いたいところです。資質の差はあっても、それなりに成長してゆけるような後押しができる研修を実現したい、そう思うわけです。 そんなわけで、小生もバージョンアップせねばなりませぬ(笑)。最近印象に残ったのは、志水太郎先生の「診断戦略」(医学書院)。診断に至るさまざまな思考プロセスについて詳述する、これまでになかった類の本です。新鮮です。そのうちに読書会でも開こうかね、こじょんのび諸君!
2014年07月10日
日本歯科大学新潟病院 臨床研修医の羽生紳太郎です。 7月より4ヶ月上越総合病院にて研修させて頂くこととなりました。 本病院の歯科・口腔外科外来は名前のとおり一般治療だけでなく、口腔外科治療も多く見ることができるので多分野にわたって学びたいと思っています。また、総合病院での歯科ににおける他科との連携についても学べる良い機会なので無駄にしないよう努力したいと思います。 短い間ですが、よろしくお願いします。
2014年07月08日
全国的にうっとうしい梅雨空が続いている。上越もしかり。とはいえ、それを吹き飛ばすワールドカップの熱戦ぶりである。この原稿の時点ではベスト4が出そろったところだが、さすがに伝統国ばかり。どこが栄冠をつかむのか、話題は尽きない。 それにしても、日本代表は振るわなかった。残念であるが、ここは素直に現実を受け止めるべきである。素直というのは、見たくないものを直視し、聞きたくないことに耳を傾けるということだ。そのうえで足りなかったことを分析し、反省すべき点は受け入れ、問題を改善してゆかなければ進歩はない。この評価と省察、修正のプロセスこそが鍵である。 このあたり、医療者としてのありようと共通するところがある。思えば小生、経験や過去の知識に長いことあぐらをかいていた時期があった。研修医や学生諸君とお付き合いするようになり、ようやく自分の至らなさに気が付いて、アセッている毎日である。もっと早く気がついていればと思わざるを得ない。 だからこそ、若い君たちには「素直で」いてほしいと思う。 日本代表は、チームとして成熟していないように見えた。今回のチームは、8年前のジーコ監督のチームに似ていた。どちらも特定の選手を大切にしすぎて(おそらく監督も彼らをコントロールできなかったのではないか)、チームが一つになっていなかった気がする。試合でプレーする選手は、自分のためでなく、チームのためにプレーしなければならない。ベンチの選手たちに敬意をもって、謙虚であるべきだ。ベンチの選手たちは、不満を表してはならない。歯を食いしばってサポートに徹するのも大切な役割である。 医療も同じだ。日本中の病院を探しても、どれだけの施設が患者さんのための本当のチーム医療を実践できているだろうか。チームのひとりとして、自分はその役割を全うできているだろうか。小生には、そうだと言い切れる自信がない。でも、君たち若い世代には、小生のようになってほしくはないのである。 日本代表がコートジボワールに敗れた翌日、医療者を志す地元の高校生たちが、当院に医療体験にやってきた。例年指導医について診療の現場を見学しているのだが、今年は研修医を交えて、彼らの体験談を聞いてもらったり、テーマを決めてディスカッションしたりする時間も加えた。これは思いのほか効果があり、ディスカッションは白熱し、生徒たちの感想文には例年以上に力がこもっていた。 年齢が近い分、高校生にとっては指導医よりも研修医と話した方が心安いことだろう。でも、成功の理由はそれだけではあるまい。 彼らにとっては、医学部を卒業し、国家試験を突破し、医師としてのキャリアを歩み始めた君たち研修医の姿こそが、眩しいロールモデルなのである。そこに君たちのかけがえのない価値があるのだ。日々の研修はうまくいかないことも多く、自信をなくしたり、落ち込んだりすることもあるだろう。でも、そんなときこそ、君たちに追いつきたい、君たちのようになりたいと思っている後輩たちがいることを忘れないでほしい。 そのディスカッションの中で、「自信過剰になって、できないことをできると思ってしまうことは危険だ」という趣旨の意見があった。一理はある。だが、おそらく君たちも生徒たちも、そして指導医と呼ばれる小生たちも、できるはずのことをできないと言いわけして、力を出し惜しみしていることの方が圧倒的に多いのではないだろうか。 それではつまらない。可能性を否定せず、一所懸命でありつづけることの尊さを、ピットで躍動する選手たちが教えてくれる。だからこそ、ワールドカップが人を魅了するのである。
2014年06月02日
日本はいったいいつから二季化(四季ではなく)したというのか。風薫る五月、早苗の揺れる五月のはずなのに、とにかく暑い。小生のような年輩になると、気候の変化に体調がついてゆかず、いささかグロッキーである。 さて、この四月から研修を始めた一年生たちは、さすがに若い。暑さ大歓迎とばかり、日々熱く過ごしているようだ。まだ研修開始後二か月とたたないが、すでにいろんなことを経験したはずだ。 オリエンテーション。今年から研修医だけでなく、全新人職員を対象にプロフェッショナリズムの話を始めたが、頭に残っているだろうか。研修ハンドブックを片手に、臨床研修のあらましを説明した。経験の一つ一つを研修医手帳に記録しているだろうか。 教育回診。こじょんのびのブログにもあるように、自治医科大学のアラン・レフォー先生をお招きして、周術期の患者のケアの要点を学んでもらった。ちょっと流暢すぎる英語だったけれど、どの程度理解できただろうか。Review of systemやバイタルサイン、身体所見から臨床推論をする筋道のABCをディスカッションしたはずだが、手ごたえはどうだっただろう。 日々の研修で患者さんに接するようになったことは言うまでもない。今まではマイペースで、自分の関心や興味を羅針盤にして毎日過ごしていたかもしれないが、患者さんのニーズやそれぞれの診療科のスケジュール、指導医の指示など、「こうしてほしい」「こうあってほしい」という周囲の要請に応えて時間が過ぎてゆく生活に変わったはずだ。何もわからずただただ忙しいけれど、きらきらと輝くものに満ちあふれた、濃密な時間を過ごしているに違いない。 研修はまだ始まったばかりである。これからの一年間で、抱えきれないほど多くの、貴重な経験をするはずだ。二年生を見ればそのことがわかる。一年生には雲の上の存在に映るかもしれないが、去年の今頃は、彼らも彷徨える子羊のようだったのである(笛吹けど動かぬ竹やぶだという意見もあったが(笑))。 すくすくと成長してほしいから、一年生に次のことをお願いしたい。もちろん二年生も、もう一度心に刻んでほしい。 ちゃんとご飯を食べること。規則正しい生活をすること。夜更かしよりも早起きする生活の方が、日中のパフォーマンスは高まるだろう。 素直であること。頑固にならず、一度は先人たちの助言を聞き入れ、試してみることが素直ということである。 毎日十分(enough ではなく、ten minutes です)でいいから、勉強すること。その習慣を身につけることのなかった小生のような苦労を、君たちは味わってはならない。 そして、一日の終わりに、かならずその日を振り返ること。楽しかったか、辛かったか。何が出来て、何が出来なかったか。夜が明けたら、自分が行うべきことは何か。あしたのための省察。それこそが成長の鍵である。 ともに励もう。
2014年05月27日
研修医1年 萩原 昂 皆さん初めまして。4月から上越総合病院でお世話になっている臨床研修医1年次の「こじょんのび」です。 研修=仕事が始まりまだ2ヶ月も経っていないというのに大学を卒業したのが、かなり昔のように感じられ、それだけ濃い2ヶ月を過ごしてきたんだなぁと思っている今日この頃です。 「仕事」というのが初めてなのでそれに慣れるのが精いっぱいで、病棟ではアタフタしている毎日ですが、指導医の先生方がとても親切でやさしいので、恵まれた環境で仕事を始めることができて良かったと思っています。 先日、自治医科大学のアラン先生が来院され、『外科教育レクチャー』が行われました。検査の必要性についての討論、外傷時の診察の仕方等の講義をしていただきました。 私は、外国人の医師にお会いするのが初めてだったのでとても新鮮でした。しかし、英語があまり得意でない私にとっては、先生の話を聞き取ることで精いっぱいで英語の必要性を痛感させられたと共に、とても良い刺激になりました。 まだまだ慣れないことだらけですが、がんばって勉強して有意義な研修生活を送っていきたいといます。皆さん、これからのご指導よろしくお願いします。
2014年04月01日
布施理子先生 この3月で2年間の初期研修が修了します。 2年前の4月のことを昨日のことのように覚えており、こうして振り返ると長いようで短いあっという間の2年間でした。 つらいことも楽しいこともたくさんありましたが、指導医の先生方とはじめコメディカルのスタッフの方々、そして何より地域の方々に支えられ、ここまでくることができました。 皆さんに最後のあいさつに周りながら、やさしく時に厳しく本当の家族のように暖かく見守られ育てていただいたと改めて感じました。 2年間、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。 岩井玄樹先生 非常に充実した2年間でした。 多くの人に支えられ、今後の人生の方針を立てることができました。 今の自分があるのは、上越総合病院のおかげです。 この病院で研修ができて本当に良かったと思います。2年間、ありがとうございました。 臨床研修上越糸魚川コンソーシアム研修修了式にて
2014年04月01日
雪が溶け、梅が咲き始め、今年も卒業の季節です。当院からも、二年間の初期研修を終えた仲間が巣立ってゆきます。 Q太郎は少しやんちゃで、自分のペースを崩さない青年でした。学生時代に病院見学に来たとき、彼の趣味に合わせてYou tubeで格闘技の動画を見たものでした(笑)。周囲に器用に合わせてゆくタイプではないので、ローテーションのたびに苦労をしたことでしょう。あまり話をせず、一人で考えている時間が多くなった時期もあり、心配をしました。でも、それは杞憂だったようで、自分なりにフィットする術を見つけて、外科系をローテートし始めると堂々とした姿になりました。進路を決めるのにいろいろと迷ったようだけれど、それだけに、自分が選んだ道をまっすぐに進んでほしいと願っています。 P子はとても素直でまじめなレディーでした。彼女の心の中にはいつも、自分の力量に対する不安があったように思います。でも、それが彼女の背中を押すパワーになりました。労を惜しまず、不安を向上心に変えて、どこへでも飛びこんで行きました。その結果、さなぎが繭を破るような成長を遂げました。救急PHSを持たされておろおろしていた日直が夢のようです(笑)。努力して手にした羽根で、大きく飛び立ってほしいものです。 先日の研修修了式では、二人が職員に向けてメッセージを残してくれました。皆、君たちの一所懸命な姿を思い出しながら、うなずいたり、眼がしらを押さえたりしながら聞いていました。語るも涙、聞くも涙。二人が声を揃えて語ってくれた感謝の言葉を、皆が心に刻んだことでしょう。 小生の心に残ったのは、「これからも研修医をよろしくお願いします」と頭を下げた君たちの姿、忘れてはならない姿です。 君たちは、自分の医者としてのスタートをわれわれに賭けている。一方、指導する側にとっては、教育は忍耐を要する、手間のかかる作業です。誰にでも手を抜いたり、妥協したくなるときがあります。わが身を振り返っても、反省すべきことがたくさんあります。でも、それではいけない。君たちの真剣な願いを叶えるように、一途にサポートし続けなければならない。当院の誰もが、心の底からそう思い、行動したくなるような、そんな研修風土を築いてゆきたい。それこそが君たちが残してくれた、プログラム責任者の宿題だと思っています。 4月になれば、後輩たちがやってきます。君たちにもそうしたように、彼らの指導に忙しい毎日が待っていることでしょう。先輩になる現在の一年生たちは、一年間の進歩を実感し、後輩を助けたいと思うことでしょう。 言うまでもなく、そうやって後進を指導するのは、君たちが願っているように、研修医を大切に育みたいからです。でも、それだけではありません。 天塩にかけた君たちが去ってゆくのは、実にさびしい。君たちの人生の節目であることも、新しい門出であることも、祝福しなければならないことも、よくわかっています。でも、君たちに「お世話になりました」と挨拶されたくはない。逃げ回りたいくらいです。そこにいた君たちがいなくなる、そのさびしさを埋めるには、新入生の指導でもしていなければ、やってられない。これもまた、理由のひとつに違いありません。 おめでとう。そしてありがとう。幸運を祈ります。
2014年02月20日
水澤 桂 研修生活が始まって1年近くになりました。 去年の春頃、国家試験も終えたばかりで大量の医学書を傍目に研修が始まりましたが、なかなかアタマでっかちで仕事もうまくはかどらずでした。その分、隣の1、2年上のデキル諸先輩方が輝いて見えたものでした。 時は移り、この1年間、各科の研修ローテーションに加え、週1回の救急当直や糸魚川での外科研修、定期的な外部から講師を招いてのカンファレンスや、ときには沖縄まで実習に行ったりと、大変密度濃く過ごさせていただきました。最近特に研修医同士の話題となることで多いのはプロフェッショナリズムに関してです。ムツカシイ言葉を使ってしまいましたが、研修医でさえ日々の仕事はルーチン化してしまいがちです。たまたま同期が多かった年度のようですが、なおさら互いに良い影響を与えられる医師を目指して日々励んでいます。 さて、また4月には新1年生が入ってきます。大学2年生の時に部活の後輩のために慌てて読みもしないソフトテニスのテキストを買ったのは今では遠い昔。お手本にはまだまだ程遠いですが、彼らから得られるものもまたあるでしょう。 春が楽しみです。