2013年10月22日
それは緊張しましたし、練習の日程調整など大変でしたが、終わってみればとても良い思い出になりました。心からやって良かったな~と思います。 同期の研修医は、これから様々な研修病院へ出向き勉強するため、なかなか6人が揃うことは難しくなります。そんな時期に協力してひとつのことを完成させたことは貴重ですし、上越総合病院のPRもできたと思います。 これからもユーモアを持ちつつがんばりたいです!!のびのびと。
2013年10月22日
10月10日、11日に上越総合病院で開催されたCPVSコース(バイタルサインの生理学的解釈法を用いた急性期症例マネジメントトレーニング)に参加しました。 コースは最初にレクチャーを聞き、その直後に人形とモニターを使って実践練習を行いました。人形とはいえ、実際にあった症例が用意されているため非常に参考になりました。 バイタルサインから病態を考えることは日頃から行っていないと実践できないものだと感じました。その第一歩としてこのコースは非常に有用なものとなりました。 はるばる沖縄から来られた入江先生はじめCPVSスタッフの先生方、本当にありがとうございました。 皆さまに強くおすすめできるコースだと思います。
2013年10月18日
沖縄研修レポート 上越総合病院 初期臨床研修医 水澤 桂 沖縄研修から遡ること1ヶ月前、研修医の中から沖縄行きのチケットを手に入れることができたのはとても幸運であったと思う。私は元々プライマリケア、総合診療に関心がありその分野では沖縄群星の教育システムや、トップとする宮城征四朗先生は非常に有名であったためである。学生時代も同じ道に興味のある同期は何度も群星に見学に行っていたし、私も何度か誘われたりしていた。初期研修が始まり数か月が過ぎ、彼らがどのような教育を受けているか知りたかったし、また学生の目でなく、研修医の目で病院を見学できる機会を頂いたのは本当にありがたい話であった。
2013年09月06日
記録的猛暑とゲリラ豪雨の八月が過ぎ、何だか急に涼しくなった。往く夏を惜しむ間もなく、日に日に秋が深まってゆくのだろう。実りの秋というが、今日までの研修を振り返ったとき、君たちはどれほどの成果を手にしているだろうか。 さて、例によってこの夏も、臨床研修上越糸魚川コンソーシアム参加施設の研修医、他施設からの研修医、それに医学生のみなさんとともに、NARS-Jを開催した。NARS-Jとは、NAvigation for Residents and Students in Joetsuの略で、「研修医、学生さん、この指とまれ。上越に集まって楽しく勉強しましょう。」という趣旨である。今年のキャッチフレーズは、「自分探しの第一歩」。 はたして当院のレジデントたちは記念すべき第一歩を踏み出すことができただろうか。この種の研修機会で成果を挙げるには、マナーというか、参加するうえでの心得があるように思う。 何よりもまず、発言することである。わかっているつもりでも、口に出してみるとしどろもどろになり、案外理解できていないものである。わかっていないことを知るだけでも意義があるが、何か喋れば、周囲が反応して違った考えを述べてくれる。こうして意見交換のキャッチボールが始まる。こうして理解が深まるのである。 この点、わが弟子たちはいかにも物足りない。失敗を恐れる気持ちはわからないでもない。が、研修医が失敗したとて、いったい何を失うというのだろう。むしろ「アイツも俺と同じだ」と共感されるきっかけになるのではないかと思うが、どうだろうか。自慢ではないが、小生などは傷だらけである。だから、君たちの講師として絶対に招きたくないのは、研修医時代の小生を知る人である(笑)。 第二に、人の意見をよく聞くことである。よく聞くとは、批判的精神をもって、考えながら聞くということだ。相手の言うことが正しいとは限らない。その意見の根拠は何か、本当にそうなのか、自分だったらどう考えるか。そのような態度を貫くことで、理解に幅ができる。そのうえで自分の意見が異なるならば、口に出して言うことだ。相手を納得させるためには、論理的な思考力と、プレゼンテーション能力が欠かせない。それを養う絶好の機会である。 第三に、相手を尊敬することである。自分と異なる意見に対しても、それを否定せず、一度は受け入れることである。そのような態度が人間の奥行きを深くしてくれる。臨床をやってゆくうえで欠かせない資質である。 医療は一人で行うものではなく、チームで行うものである。これから君たちはチームリーダーやコーディネーターとして、医療チームで中心的な役割を果たさなければならない。それには知識はもちろんだが、十分なコミュニケーション能力、人間力を持たなければならない。 NARS-Jや教育回診は、それを養ってくれるまたとない機会である。それなのに、君たちは何故そんなに引っ込み思案なの? いささか歯がゆいのである。 ころんでもただでは起きないのがじょんのび先生である。ここまで書きながらちょっとしたアイディアを思いついたので、近いうちにそれを君たちに試してみることにする。内容は今は秘密である。当院研修医諸君は首を洗って待っているように(笑)。このコラムでも顛末を報告するので、読者のみなさんも乞うご期待である。 今日はここまで。次は稲刈りの終わる頃にお会いしいましょう。研修医たちのブログにもぜひお目通しのほどを。
2013年09月02日
気付けば8月も終わり。いよいよ循環器内科の研修が始まりました。 朝7時頃からの、じょんのび先生との回診で一日が始まります。 「脈の大きさは?」 「末梢は?」 「呼吸は?」 「dry? wet?」 「この音があるな。聞こえるね?じゃこの人の病態はどうなっていると思う?」 「病態生理をよく考えるんだよ。」 矢継ぎ早に質問が飛んでくるので常に頭はフル回転です。一時間ほどの回診の間に大量の情報が飛び交います。知らない事だらけで、ついていくのは大変ですが、先生方は丁寧に教えて下さるので、毎日の朝回診はとても楽しいです。すこしでも先生方の議論についていけるように頑張らねば。 木曜日は週一度の皮膚科研修の日。 循環器の朝回診の後、皮膚科新患外来の問診と簡単な診察、病棟往診を一緒にさせて頂く事になっています。皮膚科は自分もお世話になっているので痒さで苦しむ患者さんの気持ちがよくわかります。ただ、病気については…もっと精進します。往診では主に褥瘡処置などを行います。 循環器でも皮膚科でも学ぶ事が沢山あり、宿題がどんどん積っていく日々ですが、最近の頭痛の種は病院祭での出し物。何やろうかな…。 こんな毎日を送っているこじょんのびでした。
2013年08月27日
研修医になって早いもので5か月です。 なかなか思うように知識・技術が身に付きませんが、それでもほんの少しずつですができること増えている気もします。 最近困っていることは口癖です。「一応」「とりあえず」「という感じ」… 自分で患者さんと話している言葉を聞いているとこういった単語をやけに使いすぎています。不確定要素あるなかで断定難しいことが多いですし、こういった言葉が適している場面も多いでしょうが、「一応?とりあえず?感じ?って何?!」と思われる方もいらっしゃるでしょう。日ごろからちゃんと突き詰めて考えてない姿勢が出ているのだろうなぁと反省中です。 言葉づかい一つとってもなかなか身に付きませんが少しずつ、少しずつ勉強していこうと思っています。
2013年08月05日
暦は八月になったというのに、当地ではまだ梅雨空け宣言を聞かない。それどころか近隣では豪雨で被害が出ている有様である。被災されたみなさまには心からお見舞いを申し上げたい。それにしても、夏の青空が恋しい日々である。 さて、このホームページにもアップされているように、七月に二度、外国人講師を招いて教育回診を行った。今月も亀田総合病院集中治療科の笹野先生を招いて、合宿教育回診が行われる。研修の夏、である。 一年目の研修医に、その際に配布する資料を作成してもらっている。彼らが経験した症例を、主訴、病歴、review of system、身体所見、問題リスト、というふうに、整理してまとめる作業である。そこには当然臨床推論が必要である。彼らの原稿を添削するのは、小生の仕事である。いろいろと感じることがある。 彼らの草稿ははっきり言って拙いものである。たくさん赤ペンを入れる。それを見た彼らは多分がっかりするのであるが、間もなく一念発起して、修正稿を持ってくる。小生がまた赤ペンを入れる。この繰り返し、いわば根競べである。 とはいえ、みんなが読む資料だから、自分の知識や考え方が露わになる資料だから、彼らは一所懸命である。何とか完成する。当日は参加者から忌憚のない質問が飛ぶ。冷や汗をかき、ときには指導医に助け舟を出されながら、回診が終わる。開放された彼らに、とびきりの充足感が待っている。努力が報われる瞬間である。 本来であれば、学生時代にこういう作業を繰り返し、卒業する頃には楽勝で出来るようになっているべきものであろう。医学教育の貧困さを思う。だが、ないものねだりをしても仕方がない。線路がなければ工事をして新たに敷設するのみである。荒地を開墾するような作業だから、楽ではないに決まっている。だが、それを越えなければ進歩はないのだ。 四月に立案した研修カリキュラムを変更したいという輩が現れるのもこの時期である。数か月間の医師としての経験を経て、彼らのベクトルにも若干の修正が必要になるのだろう。Tailor madeなプログラムを売りにしている当方としては、変更に支障はない。変えたいということは、進歩して俯瞰できる世界が広がったのか、現状に不満足で焦りがあるかのいずれかであろう。何かが足りない、このままでいいのかという思い、生まれ出づる悩みが彼らを駆り立てる。 研修医が指導医やコメディカルにフィードバックを受けている場面を数多く見かけるようになるのも、この時期である。談笑していることもあるが、かなり厳しい口調で注意を受けているものもある。愉快なことより、心に痛いことの方が多いだろう。悩みは尽きないはずである。 教育とは、人の考え方を変え、結果として行動を変えることだという。だとすれば、それを受ける側は、当然変わってゆかなけれなならない。目標を変える必要はないが、そこに至るプロセスを変える。考え方を変える。勉強法を変える。習慣を変える。こだわりを捨てる。 さなぎが脱皮するように、あるいは子供の成長痛のように、変えることには痛みを伴う。だが、それを受け入れなければ、進化の扉は開かないのである。ダーウィンは言った。適応してゆく(必要に応じて自身を変えてゆく)ことが出来る生物が生き残るのだ、と。 君たちはまだ気づいていない。自分たちが少しずつ変わっていることを。自分の目に映る世界が広がってきていることを。小生には、君たちの表情が凛々しくなってきたのがよくわかる。心配はいらない。これからも、ともに励もう。
2013年07月29日
研修医 1年目 井上悟 「失神」をテーマに実際に担当している患者様についてプレゼンテーションをさせてもらいました。ゴータム先生は、私が話した現病歴や身体所見について参加者全員にディスカッションを促しながら、症状や状況について詳しく分析していました。 それをもとに分類して、臨床推論を立てられており、その過程を丁寧に説明して下さったので、非常に勉強になりました。 また、自分自身で考えていたこととは異なる視点での診断の考え方も提示して下さったので、今後の診療を行っていく上でとても有意義なものとなりました。 このような機会を与えてくださり本当に感謝しています。ありがとうございました。
2013年07月25日
研修医 1年目 石田聖朗先生 教育回診とは、Dr.Sanjayや指導医、研修医の前で、担当している患者さんの一症例を英語で発表・討論し、その後、患者さんを一緒に診察するといった、研修医を教育するためのイベントです。今回は自分がプレゼンターとなったわけですが、とても刺激的な経験となりました。今回が自分にとって初めての症例発表であり、かつ、それを英語で行えと言われ、最初はプレッシャーを感じていました。知識も浅く、日々の診療もまだ慣れておらず、患者さんを診察するのも一苦労といった状態で、もがいていた中、自分に御指名がかかったからなおの事です。しかし、篭島先生をはじめ、現在自分が研修中の呼吸器の先生方、他科の先生方、看護師さん、それから病院スタッフの方々にたくさん協力していただき、なんとか無事に発表を終える事が出来ました。 当日は、症例発表だけでなく、Dr.Sanjayによるレクチャーや、臨床問題クイズの研修医チーム対抗戦のようなレクリエーションなども行われました。Dr.Sanjayの人柄の良さもあり、2日間ともにとても盛り上がり、非常に有意義な、そして楽しい時間となりました。 ある先生から「研修医の時は、医師としての姿勢を決める大事な時期だ。今の姿勢が、将来の君の医師としての姿勢となる。」とよく言われます。そのような時期に、今回のような経験をさせて頂いて自分は幸運だなと思いました。今回の教育回診を終えて、ほっと安堵するのと同時に、自分の足りないものに気付かされ少し危機感も感じました。今後は今回の経験を生かして、日々精進していきたいと思います。 Dr.Sanjayをはじめ、今回のイベントに携わった皆様方、本当にありがとうございました。
2013年07月25日
じょんのび先生のもと、のびのびと育てられ早一年。たくさんの後輩ができた。今年から教える立場でもあり、気合をいれた春は瞬く間に過ぎ、所謂1学期が終わった。通知表のかわりに、少し心に残るエピソードを話そうと思う。 4月、1年目のA先生が鼡径から血ガスをとる機会がやってきた。 「動脈の拍動は分かる?」 「はい、分かります。」 「拍動が一番強く触れる所を狙ってね。」 A先生は、緊張した面持ちで頷く。 「少し痛いですよ。動かないでくださいね。」 患者さんに声をかけ、A先生は針を刺した。慎重に、慎重に、針を進めていき、途中で首をかしげた。 「(血管に)当たらない?」 「はい。」 「少し抜いて、向きを変えてみて。」 もう一度トライするも、当たらない。そのまま引き継ぎ、代わりに動脈血を採取した。やりながら、ふと、去年の自分もこんな風に2年目の先生に教えてもらったことを思い出した。手技が終わり、ベッドサイドから離れながら、コツを教える。 「本にはこう書いてありますよね?」 一年前の自分と同じ質問。本には載っていないがこんなやり方もあり、大腿動脈はこのやり方で外さなくなったこと。橈骨動脈の場合は中々できなくて、循環器の先生に聞いたら、全員が全員、やり方が違っていたこと。去年自分が習ったことを自分の拙い経験も踏まえて教えていく。 「やりながら、自分が確実に当てられる方法を見つけるといいよ。」 あとは彼次第だ。 数ヶ月後の7月、A先生と当直に入ったとき、再び血ガスをとる機会がやってきた。 今回の患者さんは若い女性で、羞恥心を考えると、足の付け根からより手首からの採取の方が望ましい。 「鼡径からはできるようになった?」 「はい。先生に習ったようにやったら、外さなくなりました。」 うれしい返事が返ってきた。 「じゃあ、橈骨動脈からやってみようか。」 「はい。」 少し時間はかかったが、確実に橈骨から動脈血を採取できた。一つ一つの機会をしっかりとものにしてきたのだろう。彼の成長を目の当たりにして、とてもうれしかった。1年目の先生たちの成長ぶりは目覚ましい。自分も頑張ろう。自分の通知表がどうだったかは、また別の期会で。